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テーマ:闘病日記(4013)
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久しぶりに書き込みます。
PC不調と仕事の忙しさは変わらないのですが、もう一つ大きな事がありました。 ちょうど前回の日記を書いた数日後でしょうか、父に異変がおきたのです。 8月15日に手のしびれを訴え、あまり気分も良くないということで、数日後病院で脳のCT検査を受けると血流が悪い所があるとのこと。8月25日にMRIの予約をして帰ってきました。 軽い脳梗塞でも起こしたのだろうか?と家族で話をしていたのですが、人間ドックを受けてもオールA、太りもせず、社交ダンスの競技会にでるべくハードな練習をしているくらいスポーツもしている父。 汗のかきすぎで水分不足からか?などと話し、年齢を考えてハードすぎるスポーツは控えめにしてよね、なんて話してました。 で、25日のMRIの結果がメールにて届きました。 そのメールによれば脳に腫瘍が見つかったとのこと。おそらく良性の髄膜腫であろうとの診断でした。 大きさは約2センチ、やや周囲の脳を圧迫している所見があることと、取ってみないと本当の所良性か悪性かの診断ができないので、手術を勧められたとのこと。 ただ、大きくなるスピードは遅いものだし、老人の場合は手術をしない事もある。60半ばの父についても急いで手術をしなければいけない訳ではないので、セカンドオピニオンなどに相談した後に決定してもらってかまわないとの事でした。 健康を絵に描いたような父だったので、ものすごい衝撃は受けたものの、調べれば「髄膜腫」ということであれば、脳腫瘍の中ではあまり悪い物ではないようで、不幸中の幸いと思うこととしよう、と家族で話し合いました。 その後、父は様々な人からどこの病院がいいかとか、自分と在っている病院はどこかなどのリサーチをしていたようですが、紹介されたセカンドオピニオンの医師からも、 ・おそらく良性の髄膜腫 ・周囲の脳を圧迫している所見がある ・診断確定のためにも手術を勧める という診断は共通していました。 その間、わずか2週間程度だったのですが、日に日に具合が悪くなる父。 目まいが強くなり、会社も行けない状態、吐き気もあり食事が入らなくなり、あっという間に5キロ近く痩せてしまったとのこと。 家族としては、元々健康に自信があった人が病気を宣告されたために、そのストレスでそういう事が起こってしまったのだろうと考えていました。 だってわずか数日前まで元気そのものだったのですから。 9月8日、最初にMRIを撮ってもらった医師との予約も入っていたため、会社を休んで私も同席し、手術を前提とした上での治療方法などについて相談したりしていましたが、父の一番訴えているめまいについては「この部分の腫瘍であれば、急に強いめまいが出る事は想定しにくい。食欲についても気持ちの問題であろう。皆さんよくあることですから、病気を受け入れられるようにしてあげてください」とのことでした。 手術まで1・2ヶ月かかったとして、リスクが大きくなるかと聞いたところ、 「そういう状態であればそうお伝えします。情報を集めたり、セカンドオピニオンに聞いたりして、ご自身が納得いく治療をして欲しいのです。数ヶ月おくことのリスクはないです」と強いお言葉。 会社を休んでいるために診断書が欲しいというと 「仕事をする気持ちになれないですか?・・・そういう事であれば脳腫瘍の診断書だけ書きましょう」と言われたので、弟とも「先生は仕事を休まなくてはいけない様態とは思っていないね、やはり気持ちからか・・・」なんて、電話で話していました。 めまいがツライ父はそれがこの腫瘍のせいでは無いだろうといわれた事に納得いかないようでしたが、私としては若いけれど良い主治医でよかったな~なんて思っていたのでした。 そのために、まずはいくら技術の進歩で安全になってきたとはいえ、開頭手術になるわけで、そのリスクも鑑みて、家族としても安易な手術よりも、気持ちのサポートと病院の選定に主眼を置き、父がもう一つ行きたがっていた病院にさらに一週間後に行ったのでした。 でも、その間にはまっすぐ歩く事も出来なくなり、左手で物を持つこともできなくなっていました。 9月15日、紹介状で別の先生に見てもらうと同じような診断。 腫瘍の辺縁がはっきりしているし、外側から大きくなってきている傾向からおそらく髄膜腫。治療方法としては手術以外はない。部位から言って、手の痺れは十分に想定できるが、めまいは出にくいと思う。とのこと。あまり急に症状が進むようなものではないとも。 診断後、お茶をしながら、さらに納得いかないながらも、ある人の勧めでその病院で手術をしようかなという父。 家から近い最初の国立病院で手術をして欲しい母。 救急指定になっているのは国立病院の方でもあるし、主治医の先生も信頼がおけそうだったので、私も国立病院を勧めてました。 すると、突然父が、飲んでいたお茶を飲み込めず、むせているので、「大丈夫?」と聞いても何かしゃべろうとしているのに声が出ない父。 むせたせいかと思って「何??」と聞いても、ふにゃふにゃと言葉にならない音を発するのみ。 それは明らかに脳卒中などでよく耳にする症状と同じくではないですか。 一気に青ざめる母と私。 「大丈夫?!」と何度も聞いていると、しばらくして「ああ・・・、今ヘンだったな。しゃべろうとしもしゃべれなかった」と父。 戻ったとはいえ、明らかに痙攣の発作ではないか、いつまたこの症状が起きるかもしれないと思い、救急指定のある国立病院に主治医がいる日だったので、電話で交渉し、急患としてみてもらえるようお願いして連れて行ったのです。 先生は「少し症状が出てきたのかも知れません」との事。 さすがにその現場を目の当たりにした私は「こういう発作が起こっても平気なのでしょうか?」と切羽詰って聞いたのですが「脳の電圧を下げる薬を出します。2週間飲んでいただいて、2週間後に詳しい手術日程を決めましょう」と。 手術はどんなに早くても10月15日以降しかできないし、ちょうど学会があるので10月末になるかもしれないとも。 麻痺はどんどんひどくなり、滑舌も悪く、1ヶ月前とは別人の父。 急変しないと言われていたのに、納得できない私。 私までショックであまり食事も入らなくなってしまいまいした。 弟(長男)一家も駆けつけ、看護士であり保健婦でもある長男のお嫁さんが、「こんな状態でも入院させない理由がわからない。弟の勤めている病院に交渉しませんか?」と。 最初のセカンドオピニオンはその彼が勤める病院の非常勤であるT大の助教授だったのです。つまり、8月末に一度診てもらっている方です。自宅から遠いので、手術は当初考えていなかったのですが、この際言ってられない!ということになりました。 お嫁さんも「お義父さんくらい健康な方はいないから、絶対90歳超えてもしっかりされていると思ったのに・・・」と涙ぐんでました。 そこで、9月20日に診察に行くと、「どうしてこんなことに?」と先生もビックリするほどの進行ぶり。 薬を見せると、「こんな状態でこんな薬ではダメだ!」と。 翌日入院・1週間後の手術を決め、もう一度MRIなどを撮りなおして診断を受けると、やはり信じられないくらいに腫瘍が大きくなっているとの事。すぐに点滴と、転移も考えられるからということでの精密検査が始まりました。 精密検査の結果、脳腫瘍以外の所見は見られず、点滴のお陰か、目まいもだいぶ軽減された様子の父。 少し安心しましたが、まだまだ本当の父に戻れるには時間もかかりそうです。 何よりも、手術が問題なく成功することを祈るしかありません。 なぜ、医師達も予想しえないほどの進行をしてしまったのか、疑問は残りますが・・・ 私も側に居ることしか出来ないけれど、後悔したくないので、入社以来ほとんど取ったことのない半休や休暇を取っては顔を出すようにしていますし、来週もそうするつもりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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