寺山修司没後25年。
5月4日が命日。早いもので47歳で亡くなって25年たつ。 生前から何となく気になる人の一人だった。憂いを含んだ風貌と短編の書簡などを含んだ、多彩な才能が人の気を引き寄せる。 寺山修司が10代から20代にかけて詠んだ青春短歌201首に英語の対訳を付け、ビジュアルに編集した「万華鏡KALEIDOSCOPE」や未発表歌集「月蝕書簡」も出版され、何かと注目されている。 青春短歌の1作「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」 因みにこれを英訳すると striking a match/momentarily/I see the foggy ocean-/is therea motherland/I can dedicatemyself to?となるらしい。 意味は良くつかめないが、感覚的に気に入っている一句である。 寺山氏は昭和の歴史に名を残す人物の一人であると感じている。 寺山修司記念館