ツイッターにはまっている理由(わけ)とその「光」と「影」
何故、ツイッターなのか? 何点か列記すれば、以下のようなことか?「同時感、即時性、時間の共有感」「会話のバリエーションの豊富さ」「サクサクと流れていくリズム感」「どんな人ともやり取りできるワクワク感」「どんな話題がリツイートされるか、意外性の発見など、マーケティングを試行検証する実験場的な感触」こんなものが網羅されているという感じ。 まさに日常的な雑談の底なし的感覚でもある。 それにメンバー構成自由、キーワードによる切り取り自由、等の構成自由感。 こんなところにそこはかとない可能性を感じてしまう。 あのマイクロソフトの孫正義氏もツイッターに対して、「初めてインターネットに出会った時以来の感動です」と言っている。あながち事業の関連だけで述べているとも思えない。 また、勝間氏が昨夏、ツイッターが日本でブレイクしそうな時に、ツイッターのアメリカの本社に飛んでいったのも、納得がいく。氏のネット活用に対する臭覚には敬意を評している。 ただ、つぶやき量を追い求めて、裏付けや奥行きの乏しい発言におぼれていくと、底の浅い軽薄な文化につながる恐れも考えられないわけではない。 常に「光」と「影」を意識して接していく必要があることは確かだと思う。 ローカル版 ↓