本当は叱られるのだろうが、今まで愛する友たちは二代目みい子以外、瀬戸内の海に水葬にした。昨年、ちびけも香川県の庄内半島近くの景色のいい場所から瀬戸内のおだやかな海に旅立った。動物病院が用意してくれた紙の棺桶で・・。先月久しぶりに黄色い菊の花を手にその地を訪れた。自分にとってこの小さな老猫がもたらしたものは何だったのかってふと考えてみた。愛玩ペット、主従関係、家族・・・そのどれでもない様な気がした。強いていうなら戦友のようなもの。共に歩んできた道。共に喜び、共に労わりあう・・このみすぼらしい老猫とはそこまで日々のサイクルが合っていた。晩年は子供もいなくなり、もっぱら自分の腹の上が彼女の唯一占拠の場だった。極度の口内炎で物が食べれなくなっても、ひもじい顔一つせず、おだやかな顔で腹の上で寝ていた。入院10日、不思議なことに子供が会いに来た時、目に輝きが戻り、意識もはっきりして、か細い声で鳴いた。やがて子供が去っていった後、静かに息をひきとった。危篤の知らせを聞き、急いで駆けつけたら間に合ってたのに、辛くて少しタイムラグを作ってしまい、その間に寂しく息をひきとった。何をしていたかといえば、棺桶をさがしていた・・。その用意した棺桶はあまりに小さかった。先入観が為せる誤解・・・歳をとってもじゃれてたねずみのオモチャを買って病院が用意してくれた棺桶にそっと入れた。慟哭がとまらなかった。共有した日々の思い出が走馬灯の様に脳裏に浮かんだ。かけがえのない日々は帰らないし埋らない。最後にしていた首輪と同じ物を今み~ちゃんがしている。同じ鈴の音を聞くと悲しみが込み上げてくる。
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