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カテゴリ:つれづれ
今日は趣味の1つである将棋について。
久々にヤフーのネット将棋を楽しんだ。昨日から十二連勝。案山子のパターンは決まっている。角道を開け四間に飛車を振り7七に角を上げ、相手に角頭への棒銀を誘い、機を見て角交換に行くか、相手の飛車のこびんを狙うか・・。振り飛車は元来守りの戦型だが、案山子のは攻め攻め・・たまに玉砕するけど(笑)囲いは美濃囲いか高美濃、たまに相手に付き合って穴熊(嫌いだけど・・)。戦略的に苦手は相手に三間飛車をやられた時、勝率は極めて悪い。 思えば小さいころから近くの縁台でよく将棋が指されていたけど、子供の自分がやるのは決まって廻り駒ばかり。今でこそ連盟公認の三段を拝借しているが、覚えたのは大学に入ってからだ。暇だったので下宿の先輩といつも将棋を指していたが、何しろ金銀の進め方すらあいまいな案山子、いつもこてんぱんに負けていた。そこで、当時大学の将棋部に在籍していた郷里の同級生に急遽入門。彼は関西学生リーグで活躍していた猛者。とりあえず彼の後輩に飛車角抜きから教わった。色々と本も読み、少し自信がついたころ、下宿の先輩と三番勝負。彼には悪いがなんでこんな人に負けていたのかと思うぐらい大差で完勝。定石がいかに大切かを実感した。ただ、同級生には未だに飛車角抜きでいい勝負だけど・・。 羽生が7冠を取った時、少し将棋ブームになったけど、案山子は昔から自分が指すより、プロの将棋界の方が興味津々だった。これはF1も同じ。当時は中原永世が全盛時代。米長邦夫が彼に何度もタイトル戦で挑戦しては敗退していた。判官贔屓ではないけど、米長を応援していた。そんな中、若手ですごく強い奴がいるなあ、なんて奨励会の棋士を一人応援していた。それが羽生だった。最近は将棋界にもあまり目を向けなかったが、数年前、羽生と同じようにすごい奴が奨励会にいるな~って注目していたのが渡辺明君だった。昨日、久々に将棋連盟の公式ページをみると、早くもタイトル戦で活躍しているではないかいな。何、何、竜王になってるがな!時の移りの早さを実感・・。 蛇足だが、案山子は囲碁はとんと駄目だ。何しろ生前の母に井目で駄目、風鈴をつけていい勝負だった。ちなみに何故母が強かったか ・・・。二十代のころ母は結核病で一年以上国鉄病院に入院していた。もう殆ど助からないかもしれないので案山子が小学四年の時、手術前に訪れた記憶がある。確か寒い病室で鳥飼を焼いて食ってたような・・昔から食い意地が張ってた(笑)で、その時男子の病室にいた中村さんって人に囲碁を徹底的に教わったらしい。彼は国鉄史上大惨事を招いた紫雲丸事故の船長の息子。彼の父はその時殉職した。辛かっただろうな。そんな彼も何年か前鬼籍に入ったとか・・。母と同い年だったので生きていれば、まだ70歳になったばかりなのに・・。母はすでに亡くなって四半世紀経ったけど・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.02.06 13:05:39
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