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テーマ:今日のこと★☆(106328)
カテゴリ:つれづれ
罪を憎んで人を憎まず。
自分には、到底そのような聖人の寛容さは持ち合わせていない。罪は人が犯すもの、常に人の上に責任が発生することが、ものの道理と思っている。 法治国家でなければ、平気で罪を犯してもいいだろうし、罪は罪ではなくなるだろう。しかし、人間社会、無秩序でやっていけるはずもない。また、あらゆる欲を持つ人間にとって、法による制裁がなければ、動物の中で最も醜い姿になるだろう。 しかし、現実は法の下にすら殺し合いをしている。一例が宗教による国家間規模の戦争だろう。厳しい戒律を守り、敬謙な気持ちになるための、いわば人間浄化の宗教。信じる者は救われる・・・人間社会の秩序の最大の場である宗教。それが逆に凄惨な戦争を招いているのが現状。イスラムの自爆テロ。自らを犠牲にして、多くの何の罪もない子供や民衆の命を平気で葬り去る行為。一人や二人ではなく、何十人、何百人と死んでいく。その凄惨な報道すら、日々日常の出来事のようである。 最初に戻るが、犯してしまった罪を償うには、同等またはそれ以上の罰しかない。妻を殺され陵辱され、子供を惨殺されたものにとって、相手の立場に立って、寛容な気持ちなれと言えるのか。同等の罰を与えたとしても、不本意である。しかし、現実には最大の罰として、それしか望むことが出来ない。本当に無念だと思う。 人間は本当に弱い動物だ。だから弱いゆえに心の寛容さは必要なのかもしれない。だけど、許されないものは、絶対許されない・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.09.21 09:12:26
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