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テーマ:讃岐うどん(1593)
カテゴリ:つれづれ
タウン誌「かがわ」の麺通団の記事で、隠れたうどん店を訪問するのに至上の歓びを感じていた時代もあった。また、その記事に近いうどん店を発見するたびに胸が高まった。
栄華盛衰・・・・・逆だろうと唱える者は本当の実態がわかっていない輩。 昔のことを言っても詮無いことだが、谷川うどん店へ行くと必ず地元の人や消防署の人がいて、季節談義に耳を傍立てていた。おいしい蕎麦粉もよく頂いた。・・・・それが今は県外ナンバーが路上駐車でずらり。地元の人は果たして来ているのだろうか? おでんの中に串が折れて舌を怪我した時、それはよくあることでそんなもんやとサービスの何たるかを理解出来ない宮○。今でも一杯の車、ひやひやな!ひやあつな!と高飛車な言葉にも耐えるお客は、きっと食べさせてもらっていると謙虚な人ばかりだろう。 善通寺の蘭栽培のうどん屋。最初のころはうどんが好きで、蘭業者を案内しているうちに自分も作りたくなった・・・などとアットホームでやさしい顔をしていた若者。だいぶ経って訊ねると、夜叉の顔になりぞんざいな態度で客に接していた。 今日、何故こんなことを書いているかといえば、後発進の最近のうどん屋で、恐るべき讃岐うどんを地で行こうとして、その悪い見本ばかり踏襲した店のことを述べたいと思ったから・・・・。 その店は最近まで愛媛と香川の県境近くで開いていた店。今は香川に入って最初の駅の傍に移転した。上○。 何が駄目かといえば、サービス業の基本をわかっていない。これは恐るべきで横柄になった店によくあるパターン・・・というかそんな店が多いこともあるが・・・又、これは関東のすし屋や蕎麦屋、ウナギ屋などと共通することだが・・・。 味は、自分は別に讃岐うどん独特のぷりっとした腰がない、どてっとした大味のうどんと評価しているが、それが好きな人にとやかくいうつもりもない。別段すごくうまいと思わないが・・・。旦那の嫁の横柄な態度も、別にそう変貌したことは、過去の恐るべき讃岐うどん屋の嫁ハン達で経験しているからどうってことないが。 だた、いいたいのは自分達の都合で勝手に休むことが多々あること。別にそんなの経営者の勝手といえばそれまでだが、何処の世界に食べ物屋が度々、自分達の都合で休む店があるだろうか。日曜日に休むのはいいとしても、そこに見え隠れするのは、食わせてやっているといった傲慢な姿勢だ。真に恐るべきの一番の恥部を見事に踏襲している。多分百年経ってもこのことをこんな風に捕らえる者もいることを理解出来ないだろう。 そんな店に寛容な客は尊敬に値する。実際、たかがうどん、されどうどんとはいえ、大衆の食べ物を並んで食べる気はしない。私はね。 4台の駐車で充分な時の山越うどんが懐かしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.09.22 21:13:09
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