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テーマ:今日のこと★☆(106289)
カテゴリ:つれづれ
NHKで「トップセールス」って番組が始まった。まだ初回なのでよくわからないが、昭和50年代に女性が車のセールスをするって設定らしい。昔の自分と今の自分の姿を垣間見ることが出来そうな番組だ。
自分は大学を出て、地元の商社に就職したが、部署は資材課だった。もっとも、その会社は営業部に資材課があったので、あながち裏方ではなかったが、自分としては、営業課がなんとなくうらやましかった。多分会社も面接の結果、資材課に配置したとは思うのだが、適材適所だったかは今思うと疑問である。今でもそうだが、こまごました数字を日がな一日計算することは超苦手だ。笑。分析やファイリングは好きなのだが、継続出来ない。むしろ、企画することのほうが生に合っている。 転職後は最初から技術職を選んだ訳だが、その専門学校へ入学するまでの半年間、営業をやらされた。テレビでは、インターホーン越しに断られたり、名刺を受け取ってもらえないとか、犬に吼えられるとかセールスの厳しさを描いていたが、実際はそんな生易しいものではない。あるアパートを先輩と回った時のこと、インターホーンは声を落して話せと言われた。何故か? はっきり言うと、扉を開けないで断られるから・・・。そして扉が開いたらすかさずつま先をねじ込めとも教えられた。 犬のいるところに強引に行った時は、泥棒呼ばわりされて、警察を呼ぶとまで言われたことがあった。毎日100件、それでも半年間に売れた楽器はオルガンが二台だけだった。ただし、調律学校へ行っている間に、自分の顧客からピアノが二台ほど売れたと聞いている。非常に嬉しかったが、達成感はなかった。 卒業して数年は技術が中心で、売りは営業マンに振っていたが、どうしても自分でなければいけないってレスナー(ピアノ教師)が増えて、ぽつりぽつり売り出した。そうすると一般の調律がお座なりになり、技術と営業の狭間で悩んだこともあったが、それがセールスエンジニリアリングという最先端の営業だとは気が付かなかった。それを初めて実感したのは、営業にはあったキャンペーンが、調律師にも適用された時だった。 最初、一年間のキャンペーンとして、調律師も調律プラス販売の成績がつけられるようになった。そこで開始にあたって、ヤマハの地区担当者に「年間、ピアノ何台売ったら目標値が達成するのですか?」って問うと「まあ、一台は売って欲しいな」と言われた。非常に驚いてしまった。当時、最低でも調律をこなしながら、月に4~5台は売っていたから・・・。別に自慢するわけではないが、小さい楽器店では当たり前のことだった。その年は販売部門で優秀賞、次の年は関西で2位になった。年間90台近く売った。当然、調律部門では振るわなかったが、その時、ヤマハの調律部門の課長に、皮肉を込めて、お前は調律師というより、営業マンだなって言われたが、逆に嬉しかった。なんとなく一人前になれたような気がしたから・・。 さて、現在は技術やスキルに頼れない、まるっきりの営業マン(ヘンな言い方・笑)それも、ほんと、今日のテレビのような原始的やり方。でもけっこうそれが楽しく、20代の昔に返った気分で日々活動している。ただ、人間対人間、やはり人間関係の樹立が大切なのは今も昔も変わらないことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.04.12 22:38:33
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