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テーマ:たわごと(26903)
カテゴリ:つれづれ
一輪の 野花を愛でる 幸せよ
今日は朝から天気が悪く、夕刻には少し雨が降り若干凌ぎやすくなった。さて秋の夜長の時期が来たのでとりとめのない話でもしてみようと思う。 私の崇拝していた(過去形が哀しい)かのアイザック・ウォルトン卿が著書「釣魚大全」の中で、人によって色々愛でるものがあるが、私はこよなく釣りを愛するといった詩の一遍を書いていたが、当時釣り三昧をしていた自分にとって、この詩は正に我が意を得たりって感があった。釣りこそ我が人生、つりがすべて・・・と言った具合に。時は移り変わり、今の自分にとってはたしてこれこそ生きがいだと言えるものがあるのか。・・・自問自答しても虚無感しかない。 生きがいは幸せに繋がっている。それは、愛でるもの、愛せるものがあるのかに尽きるだろう。過去に2度死ぬほど愛した人がいたが、死ぬことはなかった。死ぬ前に別れが待っていたから(笑) また家族愛や家庭の暖かさは自ら拒否していたのだが、それがどれ程自分の人生にとって大切であり、必要不可欠なものであるかってことを学んだのは残念ながら独りになってからだった。 昨日、荒れ地に咲く一輪(正確には二輪だが)の可憐な花を発見した。まわりは雑草ばかりなのに平然とまた悠々としたその姿に感動すら覚えた。そして気がついた事は、最近物事を斜に構えて自分本位で理屈ばかりこねていた我が姿だった。そしてふと思ったこと、それは素直な心で周囲を見渡せば、きっと感動する出来事はいっぱいあるはずだと、それが小さな幸せに繋がり、ひいては生きがいを感じることが出来るのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.09.29 21:41:22
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