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昨日、隣町の地方祭が終わり、秋祭りも一段落したが、我々の地方祭で使われる太鼓台のルーツを調べたことがあるが、一説として三国志時代ではないかと言われている。また、この太鼓台の創始者が卑弥呼ではないかという説もある。
五条原の戦いで、諸葛孔明が魏の司馬懿仲達を欺くために、自分が死んだら神輿に乗せて走り回れという遺言を残したが・・有名な「死せる公明、生ける仲達を走らせる」・・その神輿がどうも我が地方の太鼓台に似ているらしい。いずれにしても大陸から古い時代に渡ってきたのだろう。 三国志時代、史実としてもっとも有名なのは、「魏志倭人伝」だろう。 さて、西暦239年に魏から使わされた使者が訪れた、倭の奴の国の女王卑弥呼の住でいた邪馬台国はどこにあったんだろうか。最近では畿内説が最有力だが、諸説色々ある中で我が町もその候補に上がっている。 我が町には3世紀前後に作られた古墳や、神殿風の山がある不思議な場所があるが、その地名が山田井という。実に変な地名である。やまだい・・・ヤマタイ・・・邪馬台国・・。 研究家の間では、邪馬台国徳島論の証として、この山田井が邪馬台国に行く前に訪れた「投馬国」ではないかと言われている。 いずれにしても我が町には古来から伝わる不思議な地名が多い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.10.24 06:55:27
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