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カテゴリ:つれづれ
昨日、実に10数年ぶりに囲碁をした。
何せ相手は6段クラス。勝てるわけがない。 将棋なら日本将棋連盟から三段を受けている身として、まぎれにでも持ち込めるかも知れないのだけどが、囲碁ばっかりはどうしょうもない。井目でも駄目だ。 やっと取った陣地も2目がやっと。 まあ、楽しく打たせてもらったのでいいかもね。 ところで、囲碁を覚えたのは小学5年生の時。 師匠は母。最初は井目置いても勝てず風林火山状態で初めていい勝負になった。 母の師匠は、国鉄病院の結核病棟にいた中村さん。 そう、母は私が小学4年生の時結核にかかり、大手術の結果一命を取り留めた。取り除いた肺の一部を見せてもらったが片肺の半分近くあった記憶がある。 真冬の寒い日、多分助からないかも知れないので、手術前に初めて病室に連れて行かれたのだが、私といえば鳥貝(なんで鳥貝があったのかは定かではない)を七輪で焼いて食いまくっていた。(笑)後にも先にも鳥貝を「ぬた料理」以外で焼いて食ったのはこの日だけなので、香ばしい匂いとうまかったことは今でも鮮明に記憶している。 ※蛇足だが祖父の手術前には缶入り羊羹を食いまくっていた。(爆) 母は当時20代。 亡くなっていたら父の故郷の香川に転向してたかも・・・。 さて、その中村さん。 私も何度かお見舞いに行ったときお会いした記憶があるが、長身で男前のやさしい方やった。 「中村」さんのおとうさんは有名な人だということを、母が退院してから知らされた。 それはあまり触れられたくない出来事だった。 彼の父は昭和30年に起きた宇高連絡船「紫雲丸事故」で船とともに殉職した船長。 瀬戸大橋を渡るたびにこのことを思い出す。といっても記憶にない紫雲丸事故ではなく、中村さんの面影である。 もうひとつ、退院の時に母が持って帰ったウクレレは、ひょっとしたら中村さんに貰ったのかも知れないということ。もしそうだとしたら、今、私がクラシックギターを弾いてるきっかけを作ってくれたのは中村さんやったのかも知れない。 母の退院後、数年して彼は天国に召された。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.02.19 09:09:16
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