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朝から先日の発表会の曲をCDに取り込む編集をしている。うまく録音できなかったので気が乗らないが先生にも催促を受けているのでやらないわけにはいかない。
ところで音の編集をしていると音楽とはなんぞやって考えてしまう。三要素はリズム・メロディ・ハーモニーだがそれにプラスして音程音職、曲想感性なんてものが付着しているのかもしれない。どんなきれいな曲も音程が狂っていたりノイズが出てたりしたら興ざめだし、自分にあった曲でなければ雑音に等しい。(演歌やラップ曲、現代音楽などは自分にとって雑音にしか聞こえない。) ただし! あまり音質や音程にばかり捕らわれていると、音楽の本質・・・音を楽しむことが抜けて、芸術イコール技術力となってしまう。 今のCD曲は自分も編集してて感じるのだが、デジタルだとどんな風にも編集出来るし音程すら矯正出来てしまう。CDを聞いていてフアンになり実際にコンサートに行き落胆したアーティストも数多い。特にギタリストの稲垣稔などはものすごく楽しみにしていた生演奏だったが、別人のような音色にがっかりしてしまった。なんなんだ、このきたない演奏は・・・・。 まあ、コンサートは完璧を求める場ではないのでタッチミスはあるかもしれない。ただ、音色はごまかしがきかない。CDとあまりにかけ離れている場合は編集過程でそうとういじっているかも。これは聞く人にたいする冒涜行為・・・・歌謡曲の歌手なんてみんなそうかも(笑) コンサートではごまかしは効かない真剣勝負の場。 アーティストと観客のタイトライン。 一番それを感じたのは初回の村治佳織のコンサート。とにかく彼女の強烈なオーラを実感する事が出来、すべての曲に緊迫感を感じ、張り詰めた中に何故か逆に精神が高揚した。ただ終盤になるとその中で幸福感や安らぎさえ感じてしまった。 逆に始終弛緩したコンサートはこれも3年前の村治佳織。前回より難しい曲もあったが殆ど完璧で、何故か老獪さを感じ、コンサート自体つまらなかった。 そんな訳でCDだけで判断するとギャップもおおきいかもね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.09.19 14:23:05
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