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テーマ:今日の出来事(292610)
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1月10日、父の兄が亡くなりました。今年になってから容態が悪くなって両親が急遽会いに行き、それから程なくだったそうで直接のお孫さん達に囲まれた大往生でした。
成人してから親戚筋との交流はめっきり減ってしまい、喪主の方も「内内だけでやるからそんなに集って来なくていいよ」との打診もあったのですが、やはり今生のお別れなので自分の意思で行く事を決めました(仕事の都合が付かず、お通夜を諦めて告別式のみとなりましたが) 結果として私はまたしても「滅多に顔を見せない幻の親戚」となって驚かれてしまいましたが、おおむね歓迎されたようです。 私の方も久しぶりに父方の一族の全体像を俯瞰するチャンスで、私達はどんな特徴を持っているのかをよく観察することが出来ました(一体何を思って葬式に参加しているのだか)。 で、お葬式というものは伝統行事だから昔から変わりのないものかと思っていたのですが、やはりハイテクに囲まれた日本では色んな変化が進んで、ことに都心部では都心部なりの都合が盛り込まれているようです。 まず「盛大なお葬式は減っているらしい」 今回のお葬式は遺族の希望もあってか質素に執り行われ、お通夜も6~8時で終わり。夜道しで故人を偲ぶような事もありませんでした。「語りたい人は残ってもいいけど忙しいならお帰りも結構」という柔軟さのようです。告別式の出棺時も東照宮の陽明門のような豪華な霊柩車ではなく、いたってシンプルなものが標準となってます。 「自宅での告知もなし」 また、公共の催事場で式を挙げたので、私は故人の生家の前を通って来たのですが、昨今では火事場ドロボウならぬ「お通夜空き巣」とでもいうような犯罪を警戒して、自宅に告知を貼らないようになっているのだそうです。隣近所との結びつきが希薄なのも原因かも知れません。 「色んな電化」 恐らくは火事対策もあってか、ご焼香の箱も据え置き型のものはコードが付いた電熱式のものでした(各自手渡しで使いまわすものはよく見られる炭火式)。 お棺も霊柩車への積み込みは親族による人力でしたが、火葬場の中では電動の台車で移動しています。お棺を収める炉もボーリング場のレーンみたいにズラリと12機も並んでました。工業地帯の風景で有名な川崎・夜光の火葬場に持っていっただけに、なんだか工業製品のように扱われたと思ったのは考えすぎでしょうか。 両親の家系はどちらも健康な家系で大病持ちもおらず、伯父さんの骨もしっかりと形の残ったものでした。それはとても良いことだっただけに骨壷へ収める時に「入りきらないから圧縮します」との断わりとともに上からグシャグシャと押し込められる光景は、何度見ても嫌な気分でした(同様のシーンを祖父や他の親戚の時に見ている)。 「初七日圧縮」 お骨も収めて斎場へとって返して散会と思っていたのですが、会場には食事が用意されていました。どうやら皆が集っているうちに初七日へ移行するのが最近の傾向のようです。同行の伯母さん曰く「都会じゃ個人の都合もあるし7日でまた集るのも大変だろうから昨今はこんなものなのよ」という事ですが、風情や故人への敬意よりも『取り仕切る側の都合』が優先されているようでなんとなく釈然としないのでした。 そういえばこのお葬式も、亡くなられてから4日も後でスタートしています。段取りなどは喪主側の方で先回りに進めていたようですが『空きがない』のを理由にご遺体は4日間保冷されていたというのです。私も結局は個人の都合でお通夜に行けなかった身なのでとやかく言える立場ではないのですが、当の伯父さんはどう思っているのかがちょっと心配です。 とはいえ、結果として離れていた親戚が集ることが出来たし、ひどいトラブルがあったわけでもないのでよいお葬式でありました。これからも縁を絶やさずにしたいと思いつつ両親と帰路に着くのでありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年01月16日 18時49分05秒
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