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カテゴリ:午後の紅茶
My Revolution 歌 渡辺美里 作詞 川村真澄 作曲・編曲 小室哲也 さよなら Sweet Pain 頬杖ついていた夜は 昨日で 終わるよ 確かめたい 君に会えた意味を 暗闇の中 目をひらいて 非常階段 急ぐ靴音 眠る世界に 響かせたい 空き地の隅に 倒れたバイク 壁の落書き 見上げてるよ きっと本当の 哀しみなんて 自分ひとりで 癒すものさ わかりはじめた my Revolution 明日を乱すことさ 誰かに伝えたいよ My Tears My Dreams 今すぐ 夢を 追いかけるなら たやすく 泣いちゃダメさ 君が教えてくれた My Tears My Dreams 走り出せる 感じて Heart Ache 笑顔が 多いほど ひとりの夜が つらいね 「わけあいたい」 教科書のすき間に 書いてた言葉 動き出すよ ホームシックの 恋人たちは ユーモアだけを 信じている 交差点では 駆け出すけれど 手をふるときは キュンとくるね たった一人を 感じる強さ のがしたくない 街の中で 求めていたい my Revolution 明日を変えることさ 誰かに伝えたいよ My Tears My Dreams 今すぐ 自分だけの 生き方 誰にも 決められない 君と見つめていたい My Tears My Dreams 抱きしめたい わかりはじめた my Revolution 明日を乱すことさ 誰かに伝えたいよ My Tears My Dreams 今すぐ 夢を 追いかけるなら たやすく 泣いちゃダメさ 君が教えてくれた My Tears My Dreams 走り出せる ☆いい曲なんだがなあ。 ここからダウンロードできます。 ■小室の栄光一転、極貧へ…食事は弁当、ハンバーガー、ピザ 日本の音楽界の頂点を極めた小室哲哉。たぐいまれな音楽の才能を絶賛されながらも、ここ最近は困窮ぶりがたびたび伝えられ、かつての栄光は見る影もなく消え去っていた。 小室は東京都出身。 3歳からクラシック音楽に親しみ、10代から作曲活動を始めていた。 1983年5月に宇都宮隆、木根尚登とTM NETWORKを結成。 小室のコンピューターを駆使した斬新なサウンドは注目を集めた。 86年1月、渡辺美里に提供した「My Revolution」がチャートで1位を獲得、バンドも87年、シングル「Get Wild」が50万枚のヒット。 88年にはNHK紅白歌合戦に初出場した。 94年にバンドを一時解散、音楽プロデューサーとしての活動に軸足を移すと、trf、H Jungle with t、安室奈美恵、華原朋美ら「小室ファミリー」と呼ばれたアーティストたちが軒並みミリオンヒットを記録。 自身も95年に結成したglobeでヒット曲を連発。 96年4月にはオリコンシングルチャートで1位から5位までを小室プロデュース曲で独占した。 「TKサウンド」の黄金時代を裏付けるように、小室は高額納税者番付の常連になった。 96、97年と2年連続で高額納税者番付の第4位になり、推定年収はそれぞれ20億円、23億円に。 華原との交際もクローズアップされ、このころが公私ともに絶頂期だった。 しかし、転落の引き金はこのころすでに引かれていた。 念願のアジア進出に乗りだそうと96年12月、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。 2年後に「ロジャム」と改称して音楽や映画のコンテンツ販売を手がけたが2004年に撤退。 多額の負債を背負った。 私生活も乱れた。 「無類のアイドル好き」と周囲から言われるほど女性遍歴も多く、87年12月に元アイドルの大谷香奈子と結婚。 92年に離婚したが、その後、華原との仲が取りざたされ、98年秋に破局している。 華原はのちに自殺未遂を引き起こした。 2001年5月には、KABA.ちゃんらと3人組ユニット「dos」でダンス・コーラスを務めた吉田麻美と“出来ちゃった婚”。 9月には長女が生まれたが、翌02年3月、わずか10カ月で離婚した。 その7カ月後にはglobeのKEIKO(KCO)と電撃結婚して周囲を驚かせた。 この結婚のウラでは吉田への10億円とも7億円とも言われる慰謝料支払いが滞っていた。 吉田は3年前、週刊誌に「慰謝料として私と娘が住むためのマンションの賃貸料、娘が成人するまでの養育費をそれぞれ月払いの分割で払うことで決着しました」と明かし、2年ほどで家賃と養育費の振り込みがストップしたと暴露している。 肝心の音楽面も21世紀になると一気に急降下した。 大ブームの反動かTKサウンドは全く関心を集めなくなった。 01年からは吉本興業とマネジメント契約を結んだが、さしたる活動もなく07年6月に契約満了。 妻のKEIKOは今年3月にTBS系のテレビ番組で「食事はオリジン弁当、ハンバーガー、ピザのローテーション」と極貧生活ぶりを明かすなど、小室容疑者の窮乏ぶりは周知の事実となっていた。 今月1日、埼玉のFM局「NACK5」開局20周年記念番組に出演した小室は、20年の活動を振り返り「前半10年と後半10年は全然違う。98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」と苦悩を語っていた。 一方で「作曲数は来年には1000曲にいくんじゃないか」とも豪語していた。 [夕刊フジ] (11月4日16時59分配信) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.04 21:09:18
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