|
テーマ:ボランティア(525)
カテゴリ:小さな旅
某支援センターの呼びかけに応じて、仙台でボランティア活動に参加してきました。
8/5(金) 一日目。 朝5時半、某病院駐車場に集合。 チラシに「一輪車・スコップ・ゴム長靴が不足している」とあったので律儀に全部持ってきたが、一輪車は積み込むスペースがなく、諦めて軽トラの荷台に放置。 運転手と、17歳の少年を除けば後はご老体ばかり。 29人の定員に対して、実際の参加人数は僅か7名。 後ろの席のブレジネフみたいな眉の爺さん、常に口をクチャクチャさせている。 11時過ぎ、PAの幸楽苑で少し早い昼食。 何度か事故渋滞に遭遇。 12時台後半、料金所に近づくと今度は無料化措置による混雑。 七夕祭りのせいもあるとのこと。 特に撮影はしなかったが、高速道路の防音壁があちこち崩落したままになっていた。 13時、支援センター到着。 13時30分、我々の行先を巡って「見学が先だ」という現場のサブリーダー?のような人と「他に仕事がある」という別の偉そうな爺さん?の間で暫くすったもんだ。 有志の民間企業から折畳みコンテナを借りるだけだったが、結局マイクロバスとピックアップの2台編成で全員が作業に当たった。サブリーダー不満顔。 偉そうな爺さん、手伝ってくれるのは良いが肉体労働をするにはもうろくし過ぎていて邪魔。 持った折りコンを下ろす先も見ないで、ヤマを崩したり人にぶつけたりするから叶わない。 作業終了後、「時間が」とブツクサ言うサブリーダーと我々+地元候補一行で沿岸の津波被災地見学に入る。 これでも道が片付いている分マシだとか。 新しい家が多い。 先日も、盆参りに来ても墓石が見つからない方々がおられるというmixiニュースがあったが、実際墓地もえらい事になっていた。 5人が亡くなった丘に登って周囲を見渡すと、更に茫漠たる廃虚の群ればかりが眼下に広がって悲しい。卒塔婆に手を合わせる。 爺さん達興奮気味で声がデカい。 冗談飛ばして笑い合っている。 戦中派はタフだなあ。 夜、バスで銭湯に行って牛丼をかっ食らう。 帰ったら反原発講習会みたいなのが始まって萎えた。 眠い。配られたチラシも戦中の怨念と原発批判が渾然一体となっており、内容も不正確。 単に体験だけ受け取って後は聞き流す。 色々話したが割愛。 8/6(土) 二日目。 17歳、なんと料理が出来た。 米砥ぎも出来ないような人ばかりだったから、ウチの親父と少年の二人で立派な朝飯をこさえて振舞った。 その後、支援センター敷地内で無料バザーを運営するチームと農家での汚泥除去や農具の洗浄に当たるチームに分かれる。 僕は唯一販売やサービス業の経験がある人間だったので、バザーをやる居残り組に加わった。 50代の工員と少年、それにわざわざ埼玉から無料バザーの手伝いだけの為に来たという夫婦を合わせ計5名で支援物資の陳列に当たった。 自主的かつ的確に動ける人間が皆無だったので、全部仕切った。 普通なら余る食器も大半がハケたと言って感心する工員のおじさん。 まあ無料だし。 雷が鳴り始めたので12時にはバザー終了。 昼食に茄子とジャガイモの炒め物を作った。 料理酒が足らないので焼酎を入れた。好評。 午後、埼玉から来た支援物資を分類。 写真はセンター付きの撮影担当に撮って貰ったもの。 野菜の小分け作業。 作業は1時間ほどですぐに終わった。 野外作業組が帰ってくるまで暇なので、夕飯の下拵えをする。 何故か茄子とジャガイモだけ大量にあるので、その他あるだけの野菜と一緒に切っておいた。 茄子はメインなので30分程金網の上で軽く水分を飛ばしてからタレを作って漬けた。 ほか、副菜に玉ねぎのザク切りを熱湯に通して鰹節で和えた。 冷蔵庫で冷やしてサラダに。 6時半、風呂。 ついでに酒も買う。 NPOのえらい人にくっついて夕飯用に肉をせびったら買ってくれた。 8時、夕飯。 ガス台の火力が強すぎて、中華鍋を返す度に天井まで炎が届く。 肉もブチ込んで男好きのする脂っ濃いメニューが出来上がる。 どう見ても若者向けだが、爺様達含め喜んで食う。 酒が入ると皆メートルが上がり、色々政治談義を始めたが割愛。 途中まで楽しく参加していたが、詰まらなくなって一人で片付けをやる。 だいたい厨房に立つ意思と能力のある人間は僕と父と、あと例の少年だけである。 夜、活動の感想文を書かされる。 別に組織のメンバーでも何でもないから、遠慮は要らない。 事前説明がないため配布に不平等が生じたと正直に書いて提出。 8/7(日) 三日目、最終日。 仮設住宅で無料バザーを行う。 3箇所回り、2箇所に受け入れて貰った。 アポ無しで押しかけるのだから仕方ない。 1番目の100世帯程のコミュニティでは、リーダーを決める集会の真っ最中だったのだ。 2番目の30世帯程のコミュニティはリーダーの方がすぐにバスまですっ飛んできて、あっという間に住民の方々に声をかけて回ってくれた。 というか呼ぶ前から集まって来てくれて、皆さんとても謙虚でルールを守り、自分から配布制限について尋ねてくれた。 あんなに感謝されたのは久しぶりだと思う。 3番目の50世帯規模のコミュニティでは、物資が比較的足りているのか、それとも新たに職を得た人が多いのか、それほど人が集まらなかったが、それでもかなりの物資がハケた。 ただ食料が余ったのは意外中の意外で、これなら「喉から手が出る程欲しい、くれるなら全部欲しいけど、他の人のぶんがあるもんね。」と言っていたさっきのコミュニティに残りを持って行けたら良いのにな・・・と思った。 12時、全ての活動を終え、帰路に就く。 途中あらためて仙台市内を見渡すと、表通り以外は内陸部でもブルーシートのかかった瓦屋根や液状化で盛り上がったマンホール、半壊したままの民家が目立った。 17時、関東は雨雲で真っ暗。 東北では三日間晴れに恵まれた。 感謝。 おわり 追記:100枚以上にのぼる廃虚の写真を撮りましたが、楽天ブログの画像アップローダーは非常に使い辛いので、大半はフェイスブックやmixiにアップします。 アップロード制限はケチだわ、いちいち読み込みに時間かかるわ・・・めんどくさ。 やっぱりアフィ専用でおk、って感じですね楽天は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年08月17日 18時36分12秒
コメント(0) | コメントを書く
[小さな旅] カテゴリの最新記事
|
|