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カテゴリ:サバゲ
先週末10/22(土)-10/23(日)、山梨県の本栖ハイランドで現代戦イベント「ハートロック2011」に参加してきました。
今回は、内戦にあえぐ架空の国「アホガ二スタン」に跳梁跋扈する武装勢力ボリバンとマタカイーダ(ネーミングw)その他武装勢力vs米軍を中心としたNATOの国際治安支援部隊+アホガ二スタン政府軍が戦ったり戦わなかったり、というシナリオでした。 チーム名はヒズビ・ヤマジューニー。 現地語に直せば「ヤマジュン委員会」です。変態ですね。 メンバーは(上記部隊名を考案した)ウランバートル通信社の同志書記長閣下並びに、サバゲ仲間のへたれ兵卒同志、そして僕の計3名。 全員アホガ二スタン側です。 土曜は「ところにより雷を伴った雷雨」の予報どおり現地に着くなり降るだけ降られ、雨の中でテント張ってカレーを作るという苦行の後、栃木のサバゲチーム「単四電池」さんのテントで、書記長同志が持ち込んだ水煙管を皆で回し喫みし、さながら阿片窟のような謎空間と化しておりました。 夜中の3時ぐらいまで飲めや(ムスリム役のくせに飲むなw)歌えの馬鹿騒ぎに興じた挙句雨漏りしてびしょ濡れのテント内で泥のように眠った僕でしたが、日曜は頭痛を抱えながらもRPK軽機関銃を背負い弾帯を身につけ、なんとかイスラム聖戦士たちの戦列に加わることができました。 前半はアホガ二スタン政府軍や米海兵隊との接触はあったものの交渉に終始し(※麻薬取引ごっことかw)、一発も発砲しないまま終了。 銃をブラ提げたまま拠点の側を通過する米兵たちを笑顔で迎え、「アメリカ~フレンドフレンド~」とか言いつつ横にいる友軍と一緒に聞こえる声で「カーフィル!(異教徒めが!)」とか罵ったりチョコ貰ったり、アホガ二スタン政府軍の兵士に向かって「あいつ隣に住んでるヤツの弟だぜ!」とか勝手なこと言ってゲラゲラ笑ったりしてました。 遠方で聞こえる発砲音や「アッラーフアクバル!(神は偉大なり!)」の怒号にそそられつつも、3時間以上戦闘なしというのは流石にヒマでしたが、そのぶん見張りをサボって睡眠時間を確保できたので寧ろアッラーに感謝すべきだったと思います。 寝ている僕のかわりに防衛地点に睨みを利かせていたのは、エスコート様からご提供頂いたクレイモアM18A1ベースのIEDでしたw 前半最終盤、捕虜になったときは悔しかったですね~。 自衛隊が水道建設のための測量作業に我が隊”アブラハム”の一部メンバーを労務者として雇用していたのですが、その後我がアブラハム隊は米陸軍との戦闘を開始。 当初司令部からの命令を待って対応を保留していた自衛隊でしたが、司令部から米軍への支援要請が下るや非道にもアホガン人労務者全員をその場で不当拘束し、射殺(ちょw)。 かくしてアブラハム隊は数倍の兵力を持つ米陸軍と自衛隊の双方を相手に二正面作戦を強いられ、夥しい犠牲を出すことに。 一方、米陸軍への迂回攻撃を期して本隊から離れていたため自衛隊との戦闘を知らなかった僕は、自衛隊を味方と思い込んで日の丸に手を振ったりしていました。 実際、それだと向こうも撃ってこないんですよ。 サバゲじゃないですからね。 でも戦闘を知っていればいっぺんに8人は殺れたのに、と思うと実に残念です(笑)。 その後本来の目標である米陸軍本隊の真後ろに到着、さあ10人は道連れにして気持よく死ぬぞと思っていたら、目の前でボリバンの司令官と陸軍の間で休戦協定が締結されてしまい、手も足も出ないまま寝転がっていたところ、撤退する米陸軍に拘束されてしまいました。 しかもこの時支給されたBB弾と給弾器まで没収されてしまったので、その後は仲間から弾を恵んで貰いつつ戦う羽目に・・・。 どうせならボリバンの司令官を暗殺して、まとめて米軍もブッ殺しちゃった方がマシだったと思います(酷)。 でも実はこの休戦協定、お昼の時間に入るための儀式でした。 米軍に殺意を抱きつつ、食欲がない中クラッカーと水をなんとか胃に押しこみ、後半戦では米陸軍第10歩兵師団やグリーンベレー、海兵隊、PMC、更には陸上自衛隊と熾烈な戦闘の連続に。 ※画像は関係ないアホガ二スタン政府軍のひと※ いくつかの撤退戦を経るうちに僕も調子が戻り、PMCやアホガ二スタン政府軍兵士を人質に取って交渉相手の米陸軍に罵声を浴びせたり、仲間を3人殺した米兵を返り討ちにしたりと、それなりに鉄火場をエンジョイすることができました。 そして最終決戦。 3隊に分かれ、時に反目しあっていたイスラム側の全軍は連合軍の攻勢から逃れ通称「マンジュ・ヒル」と呼ばれる丘陵地に集結。 防御地点を築き、敵全軍を迎え撃つ決死の防衛戦が始まりました。 この「マンジュ・ヒル」は勾配がきつく、周囲を見晴らしの良い草原や沼沢地に囲まれているため、一見防御に向いているように見えながら、過去の他イベントでは物量攻撃を受けると必ず失陥すると言われていた、いわば「死の丘」です。 が、この日の連合軍には(ヴェトナム戦争時の米軍などと違って)『死を賭した突撃』など到底不可能だったと見え、我が方に何度も接近を試みながらも狙撃手にバタバタと射留められ、あまつさえ終盤には逆に丘から降りてきた聖戦士たちの攻撃を受けるありさまでした。 わーい異教徒ざまあ! ちなみに、防御側から見て右手に広がる沼沢地には、一本の桟橋がかかっていました。 僕は之の橋を、オーストリア軍が橋を渡ろうとするナポレオン軍を打ち破った橋の名前に因み、勝手に「アルコレ橋」と名付けていました。 ですが、対岸の”ナポレオン軍”たる米軍とその手先は左手にある山道を主攻方向とし、また草原に特殊部隊を浸透させるなど攻撃は小規模に留まり、防御砲火にさらされ多大な犠牲を強いる橋の強行突破には踏み込めませんでした。 したがって戦いも終盤にさしかかると、橋の向こう岸には敵軍がほとんど見えない程手薄な状況となりました。 そこで僕はその場に居合わせた上官に、橋を渡って攻勢に出ることを提案。横合いから敵が撃ちかける弾雨のなか、小部隊を率いて橋を強行突破。 完全に尻を向けた米兵どもに猛射を浴びせかけたところでゲーム終了の号令が響き渡り、むしろロディの橋を渡ってオーストリア軍を壊滅させたフランス軍の気分で意気揚々と凱旋することができました。 もちろんフランス軍は今回敵でしたけどね!(笑) 帰路は眠気と頭痛と渋滞に悩まされつつも、いつもどおり無事故で自宅に到着、振り返ってみれば実に楽しいイベントでした。 また同様の試みがあれば、きっと参加したいと思います。 長々と駄文にお付き合い頂き、ありがとうございましたm(_ _)m ISAF 首都復興チーム 部隊章 袖章 アフガニスタン 新品 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年11月09日 23時41分27秒
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