359530 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

kamarn

kamarn

Freepage List

Favorite Blog

決めてしまった bonniebeeさん

かなのふ。の、机の… かなのふ。さん
kino シアターキノさん
備忘録 タコヤキ太郎さん
佐藤竹善のオフィシ… さとうくんですよさん

Archives

2024.10
2024.09
2024.08
2024.07
2024.06

Comments

http://buycialisky.com/@ Re:夏バテ(08/15) keywords cialis levitra vs2.5mg cialisc…
http://buycialisky.com/@ Re:夏至(11/23) comprar cialis generico 10 mgvergleich …
http://buycialisky.com/@ Re:ボーン・アルティメイタム(12/09) viagra and cialis mechanism of actionci…
http://buycialisky.com/@ Re:採卵(05/03) cialis tachycardiacialis 5mg 10mg 20mg …
http://buycialisky.com/@ Re:感傷的な旅(06/22) half viagra half cialiscialis funcialis…
2016.03.14
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨年1月、父が末期の癌と診断され、
治療の効果が出ずにあっという間に8月に他界した。
治療が確立されていて、末期でも比較的長く延命できると言われている前立腺癌だったが、
その中でも治療法が確立されていない神経内分泌化した癌のようだった。
のようだった、というのは亡くなる1か月程前に医師に「そうかも」と告げられたから。
今となっては、病院や治療に関して家族としての後悔はたくさんある。
神経内分泌癌ならば、新薬治療をもっと早く行うべきだったのではないか。
なにも治療しない期間が1か月近くあった。
その間どんどん悪化していっただけだった。
一時的にせん妄症状などもあったが、詳しい説明もされず、認知症を疑ってしまった。
確実に死に向かい絶望の中で生きている父にどう接するべきか、
医師にも看護師にも相談したが、ごもごもごまかされただけで向き合ってはくれなかった。
あげていったらどんどん出てくる…
あの時期、あの病院で診てもらうしか私達には出来なかった。
仕方がないと自分に言い聞かせることしかできない。

骨やリンパ節また肝臓にも癌が転移し、
車椅子生活を送った。
頑張って食べてもやせ細り、だんだんと眠っている時間が多くなった。

看護師をしている友人に、そんな父にどう接すればよいのか
どんな言葉をかけたらいいのか、アドバイスを受け
出来る限りその通りにした。
これからの話はせずに、過去の話をする。
辛くても父を避けずに一緒に過ごす。
過去に父がしてくれたことを出来るだけたくさん話して感謝を伝えた。

何も治療せずに2週間過ごし
意識を保つのもやっとの状態でなんとか予約外来受診。
そのまま入院。
血小板の数値が低く、輸血で回復出来なければ
あと数日かもしれないと告げられた。
外来受診の待ち時間は数時間にもなる。
苦しそうな父だったが、
車椅子のそばをトコトコと歩いていた小さな女の子が可愛くて、
あの子可愛いねえ、と教えるとにっこり笑った。
あの小さな女の子にお礼が言いたい。たぶん最後の笑顔。

外来受診→入院から4日目で亡くなった。
亡くなる前日まで無理矢理食事をしていた。
食欲などまるで無いはずなのに、
起きるのもやっと、途中で意識が落ちそうになりながらも、
頑張って必死に口に運んでいた。
必死に生きようとしていた。
その、食事をする姿と、
うっかり「体辛い?」などと声をかけてしまった私に
「楽なのはね、夢の中だけだよ」と悲しそうに答えた顔、
そして「何にも出来なくなってしまった…」とつぶやいた声が
忘れられない。

亡くなった当日は42度まで熱が上がった。
それまで、目を閉じて眠っていることが多かったのに、
目を見開いて荒い呼吸をくりかえす。
瞬きもしない。
お昼ごはんを拒絶するのにテーブルを押しのけたのが最後の意思疎通だった。
看護師によると、熱は心配だが脈拍も呼吸も安定しているので
今日中ということはないだろうとのこと。
それでも母が心配しているので、私ひとりが病室に泊まることにした。
解熱剤が効かず、体が熱い。
喉が渇いて苦しそうだが、水は飲み込めない。
看護師さんが何度かガーゼで口の中を拭いてくださった。
苦しい呼吸が聞こえなくなったのは
私が父に背を向けて自分の荷物をごそごそしている時だった。
朝から見開いていた目が閉じ、呼吸も止まっている。
思わず
「お父さん!!」
と叫ぶとうっすら瞼が開いたが、それきりだった。
同時に看護師さんが入ってきた。
心拍のモニターが別室にあるようで、それを見ていたのだろうか。

父の最後、部屋に二人きりでいたのに、私は父に背中を向けていた。
42度の熱に苦しむ父の手を握って寄り添ってあげなかったことを
ずっと後悔するのだと思う。

父について、もう一つ
どうにも可愛そうで仕方がないことは
生みの親が、誰なのかわからぬまま、会いたいという願いがかなわぬまま
亡くなったこと。
「こんな歳になっておかしいと思われるかもしれないけど
今思うのは、自分を生んだ人に会いたい」
と辛そうに言っていた父。
自分の出自がわからない辛さを
私達家族は想像が出来なかった。
結局は、父の死後、父の兄によって少しは明らかになったが、
生きているうちに聞かせてあげたかった。

去年の父の様子は
私にとって大きく深い傷のようであり、
それはたぶんずっと癒えることはないのだと思う。
そしてそのような傷を抱えて、皆生きているんだと、やっとわかった。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.03.15 09:07:00
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X