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カテゴリ:今日の出来事
【「異常にいい人」?】 聞き手 ほかに、「被災地ボランティアをやって良かった」と思えることは? 郡山ハルジ そうですね、「異常にいい人」たちに会える点でしょうか。 聞き手 「異常にいい人」ですか(笑)。 郡山 はい。 聞き手 単なる「いい人」レベルではなく、人のよさがもはや異常なレベルということですね(笑)。 郡山 そうです。というのも、考えてみれば、世の中の大多数の人はおカネのために労働するわけだし、赤の他人のためにタダ働きするというのは、ある意味この社会の常識を外れたお人好しじゃないですか。しかも、困っている人を助けるために、自腹を切って日本各地から被災地に飛び込んで来るような筋金入りのお人好しばかりですよ。 聞き手 日常生活ではそんな「異常にいい人」とはなかなか会うこともないかも知れないですね。 郡山 そういうことです。ボランティア期間中には、毎日そんな異常にいい人たちばかりに囲まれて仕事が出来るんです。心が洗われますよ(笑)。 聞き手 正直なところ、赤の他人のための慈善というと、宗教がかった連中が多そうなイメージがあって、そのあまりの「いい人」さの背後に宗教がありそうな、そんな偏見がありました。 郡山 それはボクも分かります。実際、組織を組んでボランティアに入っているのは宗教団体が多かったですよ。ボクも最初は個人でなくまずボランティア組織に入るべきかと思ってインターネットでいろいろ探したんですが、キリスト教系とか仏教系とか新興宗教系のボランティア組織が多かったです。 聞き手 博愛とか隣人愛を説く宗教を信じる人にとっては、人が困っているのを無視できない、宗教的な罪悪感というか強迫観念があるのかも知れませんね。 郡山 そうかも知れません。でも、ボクが一緒にボランティア仕事をした個人で参加している人たちは、「大学の講義を受けているよりも、こういう行為をしている方がずっと意義があると思います」という関西の大学生とか、「そばに困っている人がいるのが分かっていて、自分だけ何事もないかのように日常生活を続けるなんて気持ち悪いじゃないですか」という留学生とか、誰に強制されるわけでもなく、自分個人の価値観で単独でボランティアに来ている立派な人ばかりでした。 聞き手 そんなセリフを聞かされると、私も身につまされます(笑)。 郡山 ホント、自分は1ヶ月半もの間、カナダで何をしていたのか、海の向こう側で一人グズグズ考えてないで、さっさとボランティアに来ていればよかったと思いました。 聞き手 …ああ、報酬をもらっているにも関わらず、毎日嫌々ながら仕事をしている人たちとばかりと過ごしているサラリーマン生活とは対極の世界のようです(笑)。 【慈善は身内から】 聞き手 でも、そういう郡山さん自身もそんな「異常にいい人」の1人なわけですよね。 郡山 …いやいや、この震災が起きたのが生まれ故郷でなく、たとえば行ったこともない日本海側のどこかの小都市だったりしたら、たぶん今もカナダでノホホンと暮らしていたと思います(笑)。 聞き手 自分が知ってる場所じゃないと、こんな大災害が起きてもあんまり切実な感覚が湧きませんもんね。テレビでハイチの大地震だとか、アメリカ中西部の大竜巻だのの報道を見せられても、「悲惨だ」「かわいそう」とは思っても、「被災者を助けに行こう」とはまず思わない。 郡山 そういうことです。自分は16年前の阪神大震災の時ニューヨークに住んでましたが、その5年前まで関西に住んでいながら「支援に行こう!」という発想はぜんぜん起きませんでしたし(笑)。 聞き手 まあ、でも、それが普通ですよね。 郡山 幸運にも被災をまぬがれた、自営業をしている従兄弟が石巻にいるんですが、同じ市内にこんなに困窮している人たちがいるのに、ボクが石巻でボランティアをしていた週に、ボクの父親とゴルフに行ってましたし(笑)。 聞き手 (笑)。でも、そんな人たちに「ボランティアでもしたらいいのに」とは言えないんですよね。 郡山 そうなんです。過去記事のコメントにあった、「いろんな意味で余裕がある人でないとボランティアは出来ない」というのは本当にそうで、彼は身近に起きている悲惨な日常を意識からシャットアウトするので精一杯だったと思うんです。日常的に被災者や被災状況と接しざるを得ない状況に生活している彼の場合、自分が被災をまぬがれたからといって周りに助けの手を差し伸べ始めたら、キリがないでしょうし。 聞き手 なるほど。その点、ボランティアの場合、ある程度第三者として被災者と一線を引いて接することが出来るし、現地に住んでいる被災をまぬがれた人にはない「余裕」があるということですね。 郡山 父の実家が東松島市にあって、津波で床上浸水の被害に遭ったんですが、ボクもやっぱり「赤の他人」のボランティアに行く前に、まず父の実家の復旧作業の手伝いに行きましたよ。 聞き手 そうだったんですか。「Charity begins at home」でしたっけ、慈善はまず身内からということわざがありますが、困窮している肉親がいるうちは、赤の他人を支援するというのも偽善くさいですよね。 郡山 そうです。いくら「異常にいい人」でも、自分の肉親が自宅で寝たきりになっているとか、自分の家が被災したみたいに荒れ果てているとか(笑)、そんな状況を放置して赤の他人のボランティアに行ってたら、ぜんぜん「いい人」じゃないと思う(笑)。 【企業ボランティア】 聞き手 ところで、社内でボランティアを組織して被災地に送り込むという企業も多数あったそうなんですが、そういうのは見なかったですか。 郡山 …ああ、いました、いました。社名が目立つようなユニフォームを着て、会社が支給する完璧な装備を身につけたグループを何社か見ました。夜は秋保温泉に宿泊して酒盛りするという(笑)。 聞き手 ボランティアというか、ちょっと慰安旅行みたいな(笑)。 郡山 そうですね(笑)。彼らの場合、誰しもが自発的にボランティアに志願したわけじゃなく、もともと社内で閑職に就いていたり、研修の一環として上司からボランティアに指名されたりするケースも多いので、必ずしも「いい人」ばかりじゃなかったですね(笑)。 聞き手 まあ、会社が給料を出すとはいっても、いつもはデスクワークをやっている連中の中には「なんでオレがこんな田舎に来て3K労働をしなきゃいけないんだ」みたいな、ふて腐れた人もいそうじゃないですか。 郡山 はい、いましたね(笑)。個人で来ているボランティアとの共同作業になると、熱心さが歴然とする場面があります。ボクも、企業ボランティアの人たちにあんまり突っ込んだことを言って、「…ああ、ウザイ!」みたいなことを言われましたよ(笑)。 聞き手 どんな突っ込んだことを言ったんですか。 郡山 「ボクたちはここからこっちの側溝を担当するので、あなた方にはそっち側の泥かきをお願いします」みたいな、仕切るようなことを言った時ですね、ウザイと言われたのは。 聞き手 自分らは自分らで勝手にやるから、口を突っ込むな、みたいな意味だったんでしょうか。 郡山 そうですね、「オマエら熱血ボランティアのペースに巻き込まないでくれや」といった意味にボクは解釈しました。…でも、企業ボランティアの人たちも、大多数は、個人ボランティアに負けずに熱心に作業をしてたと思います。 聞き手 なるほど。企業ボランティアの中にも、こんな田舎の津波被災者なんて自分には関係ないと思いながら最後まで作業をしていた人もいれば、個人ボランティアとの共同作業に触発されるなどして、ボランティア精神に目覚めた人もいるんでしょうね。 郡山 そう思います。実際、企業ボランティアで来ていた20歳そこそこの箱入りお坊ちゃまみたいなヤツと作業をしていてイライラしたことが一度だけあったんですが(笑)、2日くらい一緒に作業したら、ボクの名前を覚えて慕ってくれるようになりました。 聞き手 いい話じゃないですか(笑)。最初は会社から押し付けられた始めたボランティアでも、学ぶものがきっとあったんでしょう。 郡山 そうでしょうね。大学をサボって来ていたボランティアが言ってましたが、純粋な慈善の気持ちがなくても構わないから、学校が単位を与えるなりして、若いヤツに被災地ボランティアを経験させるのを奨励するような仕組みを作るべきじゃないかと。確かに、ボクみたいにヒネクレたまま年を取る前にこういう経験をしておくのはいいことだろうとは思いました。 聞き手 「大学の講義を受けているよりもずっと意義がある」というのは、きっとホンネだったんでしょうね。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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