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カテゴリ:今日の出来事
5月23日(月)の日記が本題に入る前にあまりに長くなってしまい、本題の方はさらに長い話になるので面倒になってそのまま放置し2ヶ月以上経過していたのだが、重要な点だけ書くことにする。 彼が編集長を務める雑誌の締め切り直前であったにもかかわらず、その晩は彼の職場の近くの店で再会することになったのであった。 彼とは卒業以来20年間音信がなかった。 彼とは、オレが3年生で彼が1年生の夏休みに、オレの心理学専攻の学友2人とともに4人でインド・ネパールと旅し、さらにガンジス川の聖地バラナシで美術サークルの別の後輩2人と合流した際、一緒にバーング入りのラッシーを飲んで死に掛けた仲であったが、その後ちょっとしたサークル内の派閥などの関係もあって疎遠になり、オレが卒業後渡米した後はまったく連絡が途絶えていた。 ところでこの男が、その美術サークルの1年先輩(すなわちオレの1年後輩)と結婚したことは、風の便りで聞いていた。当時その美術サークルではマドンナ的な存在と言ってもいい人気者だ。彼は大学1年の時も、オレの先輩、すなわち自分の3年上の4年生と一時交際していたことがあったが、どうも母性本能をくすぐる年上キラー的魅力があるらしい。娘が生まれたこともサークルの誰かから聞いていたが、本人の言によるとさらに息子が生まれて2人の子持ちになっているという。 彼はカバンの中から取り出したiPadで家族の写真をいろいろ見せてくれたが、ワイフの写真を探している時、彼が「...えーと、お母さんの写真は...」とのたまったのを聞いて、軽いショックを受けた。20年間の空白のあるオレにしてみれば、美術サークル時代の後輩がお互いを「お父さん」「お母さん」呼ばわりしているわけだ。 普段から彼女をお母さんと呼んでいるのかと訊くと彼は否認し(笑)、以降は会話の中でワイフに言及するときは学生時代の愛称「○○ちゃん」で呼ぶようにしていた。 まあ、日本では妻のことを子供の手前「お母さん」と呼んでいるオヤジがいることは重々知っているが、「お母さん」「お父さん」と呼び合う後輩同士の姿を想像し、20年という月日の長さが人間の関係をいかに根本的に変えてしまうかを痛感させられたのであった。以上。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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