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カテゴリ:性・下ネタ
歯医者の待合室で順番待ちのヒマつぶしに隣の席に置いてあった婦人向けの家庭健康雑誌をパラパラとめくっていたところ、『第4の性』とかいうタイトルの記事が書かれていて待ち時間の間につい読み通してしまった。 大多数の人間の性的志向は異性愛すなわち「ヘテロセクシュアル」であるが、 10人に約1人の割合で同性愛すなわちゲイやレズビアンなどの「ホモセクシュアル」、 さらに異性にも同性にも性的興味を持つという「バイセクシュアル」が存在する。 この記事によると、ヘテロや近年市民権を得たゲイやバイに加えて、 「エイセクシュアル Asexual」すなわち無性愛というタイプの人間たちも社会的に認知されつつあるという。 人々は、異性に興味がなければ単純にじゃあ同性愛者かと考えがちだが、どうやら世の中には同性だろうが異性だろうが他者に性的な興味を持たない人種もいるというのだ。 フロイト派に言及するまでもなく、性的欲求というのは食欲や睡眠欲と同様に人間の基本的な欲求であり、人間を行動に駆り立てるための大きな動因になるというのがふつうの人間の認識であろう。 誰かに交際を申し込んで「ほかに好きな人がいる」と言われればあきらめがつくのに、特に好きな人がいないのに交際を断られるとなかなか納得できないのと同じように(笑)、 性的な関心を抱いている相手が「自分はゲイだから」(あるいはヘテロだから)と言われればフラれても納得できるのに、「自分は性的興味を持たないから」と言われたらきっと納得できず、それをウソだと思うか、さらなる説明を求めたくなるに違いない。 誰かが「自分は性的関心がない」とか言っていたら、人はたぶん、ナルシストでお高くとまっているんだろうとか、カマトトぶってるだけだとか、オクテで異性に目覚めていないだけじゃないかとか、あるいは子供の頃にイタズラされてトラウマになっているんじゃないかとか、いろいろ自分なりに納得のいく説明を求めたくなると思う。単に「性的関心がない」という人間を、そのままで「ああ、そうですか」と受け入れられないような気がする。そういう意味で、自分は同性愛者だと言われるよりも無性愛者だと言われるほうが「納得いかない度」が高いといえる。 この記事によれば、無性愛者自身「自分がそもそも性的関心を持っていない」ことを理解できず、自分がほかの同性のように異性に対してのぼせ上がったりワクワクしたりしないことから「自分はレズ(あるいはゲイ)なのだろう」と思い込み、その後「エイセクシュアル」というカテゴリーのことを知って初めて自分が無性愛者だと気づくことがあるらしい。まあ、「ゲイ」や「レズ」という存在が一般的ではなかったオレらの親や祖父母の世代が、同性にドキドキしてしまう自分を「異常者」だと思って悩んでいたのが、近年になって同性愛が一般化して初めて自分がゲイやレズであったことに気づくというのによく似た状況であろう。 まあいずれにしても「エイセクシュアル」という概念はそれだけ一般に浸透していないということだ。 つねに誰かに惚れているような人には信じがたいだろうが、ほとんどのエイセクシュアルな人は自分が異性にも同性にも関心がないことに子供の頃から自覚があるという。それはゲイやレズが自分の性的志向がほかの男女と異なることに子供の頃にすでに気づいていたのと同じで、決して失恋だとかレイプだとかいったトラウマになる経験をした結果、性に対し頑なになっているのとは大分話が違うようだ。 ちなみにこの記事ではエイセクシュアルな有名人として、17世紀の物理学者ニュートン、音楽家のショパンやエリック・サティ、ザ・スミスの元ボーカル・モリッシー、アメリカの大統領選に何度か立候補しているグリーン党党首のネイダー、女性ではナイチンゲールなどが挙げられていた。日本だとあれか、宮沢賢治なんかがきっとそうなんだろう。 ところで、この雑誌に取り上げられていたエイセクシュアルたちの集うウェブサイトというのを早速覗いてみたのだが、そこに掲載されているメンバーたちの写真を見てちょっと違和感を覚えた。みんな不健康なほどにダサいのだ(笑)。異性の気を引こうなどという気がないからだろうが、とにかく着ている物も髪型なども無頓着で、間違ってもモリッシーやニュートンのような外見的魅力はない(笑)。 まあ無性愛者の多くは上述の有名人のように、性愛に費やす時間とエネルギーをほかの分野に昇華して社会や文化に貢献するんだろうし、きっと話してみて面白い人も少なくないのかも知れないが、前述の写真の違和感が先立つオレは、きっと無性愛者とは根本的に異なる人種なのだと直観した次第であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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