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カテゴリ:今日の出来事
お察しのとおり、ケッコンして日本に住むようになってから、北米での独身生活とはうって変わって、一見するとフツウのマトモな家庭人で社会人の生活を送っている私は、ブログを更新するヒマも意欲もないマトモでフツウの中年オヤジらしい日常を過ごしているので、まあ心配している人がいるとは思わないが、おかげさまでみなさんありがとさんご心配なくといった感じである。
そういえば、過去2ヶ月くらいでちょっとスゴイことがあったのでここでひとつ披歴しておくと、ワタシはこの前ドナルド・キーン博士と会ったのである。「会った」というとちょっと言い過ぎなのでより正確に言い直すと、ドナルド・キーン氏とたまたま出くわして、一こと二こと会話をしたのである。 ドナルド・キーン氏というのはホラ、この前震災を機にアメリカから日本に帰化した日本文学の研究者である。三島由紀夫センセイや安部公房とかいった文豪の友達で、彼らの文学作品を翻訳し世界に紹介した功労者でもある。氏のことを知ったのは、たぶん学生時代に読んだ敬愛する三島センセイのエッセイか何かが初めてで、その後彼の著作や対談をいくつか読んで感銘を受けてからは、いつか会ってみたいとずっと思っていた。 司馬遼太郎を対談相手に「日本史のそんな瑣末なことまで知っているのか」と舌を巻かせ、戦時中は日本兵が書き残した草書体の文書さえを読みこなし、日本語以外にも中国語・ロシア語・フランス語など数カ国語を話してノーベル文学賞の選考ではミシマ文学の凄さについてフランス語で熱弁を振るってフランス人の選考委員を沈黙させたという、どんな日本人より日本のことをよく知り日本のことを日本語以外の複数の言語でアピールできるこの外国人を、死ぬ前に一度でよいから見てみたいと思っていた。 そんなキーン氏に関する展覧会を見てきた妻に勧められて、同氏が住む東京都北区にある区立博物館に行って、三島センセイによる自筆のレターとか、同氏の書いた英語書籍の直筆原稿や、同氏にまつわる貴重な写真を見終わろうかというとき、会場の入り口が騒然としていた。その日は展覧会の最終日で、キーン博士が複数の付き人に伴われて自分の展覧会を見にきたのであった。 キーン博士を見ていちばん最初に思うのは、「うわ、小さい!」ということである。160cmもないのではないか。御年90歳になってだいぶ縮んだには違いないが、青年壮年時代でも160センチ台前半といったところだろうか。彼について書かれた出版物の文章に、彼の少年のような目や亜麻色の髪についての言及はあるが、アングロサクソン人種としてはかなり小柄なその体格についての記述を見たことがなかったので、彼の頭の位置が普通の日本人より低いにあることには結構驚かせられる。 ボクだけかもしれないが、メディアで見聞した偉い人や敬愛する人というと、勝手に立派な体躯の人物を思い描いてしまう傾向がある。だから、実際に会ったその人物が著しく小柄だったりすると、ちょっぴり幻滅してしまうと同時に、そんな風に感じてしまう自分の軽薄さや偏見や失礼さに軽い罪悪感を覚えてしまう。キーン氏の明らかな特徴であるその体格に関してメディアでほとんど言及がないのは、もしかすると誰もがボクと似た罪悪感を感じているからだろうか。 いずれにしても、人間が異文化に興味・共感を持つ動機として、またその文化のネイティブにヨソモノが受容されるに当たって、「目の高さが合う」ということは結構重要なポイントだとボクはかねがね思っているのだが、それはキーン氏の場合にも該当すると思われた。三島センセイの生前の身長は163センチ、当時のほかの文豪も写真で見る限りそんなところだが、蒼い目のキーン氏が太郎冠者を演じるときに着た着物はたぶんピッタリとフィットしたに違いないのだ。 ところで、ボクがキーン氏と会話したのは、年代別に並んでいた展示パネルのいちばん最初、同氏の幼少期の写真パネルの前であった。会話と言っても、展示会場に入ってきてすぐ「キーン博士、お目にかかれてたいへん光栄です。」といったことを英語で伝えるボクに同氏が笑顔で礼とおぼしき返事をくれたのと、その返事と笑顔に調子に乗ったボクがその(NYC在住時の)幼少期の展示パネルを指差しながら「ボクも20年前にブルックリンに住んでいたんですよ」とかいきなり言い出すのに同氏がちょっと辟易した表情で「…Really?」とか返事をしながら、また付き人の元に去ってしまったという、その数秒のやりとりに過ぎない。 ボクはこの些細なエピソードを「一生忘れられないスゴイ出来事」としてさも自慢気にブログに書いているが、キーン博士はきっといきなり英語で話し掛けてきたアロハシャツを着た不審な中年オヤジのことを一切記憶していないことはほぼ間違いない。 つーか、日本を愛し日本に帰化したばかりの鬼院怒鳴門氏に対し、母国から逃避した日本人のボクが開口一番ブルックリンの話を英語で始めたなどというのは場違いも甚だしかった。自らの一生を辿った展覧会でこんなニホンジンに話し掛けられたことなど、万が一覚えていたらぜひ忘れていただきたい話である。 まあいずれにしても、ボクとしては長年の希望が果たされてひたすら感謝感激だったと、煎じ詰めれば単にそういう話である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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