先々週末、五反田太郎氏と会う前の日、母校(大学)の心理学科の同窓会に90年の卒業以来、初めて参加してきた。
大学の美術サークルの仲間とは比較的楽しい思い出が多いが、心理学科の仲間との思い出には楽しいものも少なくはない一方、不快な思い出の方がやや多いため、ハッキリ言ってこれまで同窓会に出たいと思ったことがなかった。同窓会ではないが私はアメリカから6年ぶりに帰国した96年の暮れくらいに京都を訪れて同級生たちと再会したことがあったが、思えばそれも26年も前のことであった。記憶の中ではついこの前の出来事かと思えるのだが、これからさらに26年が経過した時、私は日本人男性の平均寿命を超えていることになることにある日ふと気付き、今この機会を逃すと生きているうちに同級生たちと会うこともなくなるかと思い急遽、同窓会への参加を思い立ったのである。同窓会とは言っても卒業年度を問わず全卒業生が参加する会なので、自分よりも何十歳も若い人も何十歳も年上の人も参加している。とは言え参加者26名中私の同級生が6人を占めていた。6人は家業を継いで社長になったヤツ、若くして出世して偉くなっちゃったヤツ、私の娘と同じ歳の孫がいる奴、大学事務所に就職して内部の事情通になっているヤツ、いろいろである。ま、いずれも京都近辺に家庭を築いている点はみな共通している。だが考えてみると心理学に直接関係のある仕事をしているヤツは1人もいない。そういえば、私以外は5人全員がいわゆる附属高校からのエスカレーター進学であり、人間の心について研究がしたくて心理学科を選択したヤツはこの中には自分以外いないのであった(笑)。今はどうか知らないが当時は6〜7割が内部進学者が占め、スポーツ推薦が1割半、推薦入学が同じく1割半、残る1割すなわち6〜7人が試験を受けて合格したホントに優秀な人たちだった。私の不快な思い出の一端はこの内部進学者が心理学科の大多数を占めている事実に関係していた。要するに、心理学を専攻しているはずなのに、同級生の圧倒的多数は人の心がどうのとかフロイトがどうのといった話題を振ると当時は嫌な顔をしたり果ては奇人扱いまでされるのであった。実際、人の心の話を振って「…勘弁してくれや。」と言われた相手は心理学科同窓会の副会長をしているのであった。ま、それでもみんな育ちの良い連中ばかりなので、人間の心については話し相手になれないものの、私のような地方出身の偏屈なヤツにも仲良くはしてくれた。だから連中との思い出はいろいろある。初回の心理学実習でネズミに迷路を学習させる実験をしたとき、バカなネズミが電気ショックにパニックに陥り逆の方向に逃げてしまい電気にシビレ続けていた話や、内田クレペリン検査の実習で日頃からバカだと見られていたヤツが私を上回り最高得点を出した話や、ロールシャッハテスト研究会の会合の最中に乱闘になり私に先に手を出したヤツが返り討ちに遭い病院送りになった事件や、同研究会の夏合宿で手漕ぎボートが荒波を浴びて転覆し死に掛けた話などである。みんな私がそれらの思い出話をするまでそれらの一件を忘れていたらしく、「頭が活性化された」と言ってくれた(笑)。35年も前のそんな記憶を昨日のことのように話す私は大学卒業後すぐ渡米しているので当時の記憶が上書きされることなく手付かずで保存されているのかもしれないが、彼らにとっては上書きに上書きを重ねもはや前世での記憶に近いものがあるのだろう。ま、同窓会の後、会場を替えて思い出話に花を咲かしているうちにあっという間に数時間が過ぎてしまったため、続きは来年に話すことにして別れたのであった。
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Last updated
2022.09.07 22:23:18
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