風任さんと会う
待ち合わせ場所に指定しているデパートの7階の本屋に定刻に出向くと、斜め前方からやってきた人にすぐに声を掛けられた。まあ風任さんだろうという見当はつくのだが、ほんの一瞬、その人が風任さんなのかどうか判断に迷った。なぜかというと、アロハを着てくると言われていたので当然アロハが似合う人を想像していたのだが、どちらかというとアロハが似合うタイプの人ではなかったからだ。どちらかというと、書店の制服が似合いそうな感じの人だ。ぼくはその人が着ている服を確認してからようやくその人が書店の店員ではなく風任さんなんだと確信できた。風任さんという人はそんな感じの人だ。時間がないので途中を端折って書くが、風任さんはとてもかつてガンジャ・フライヤーズの一員としてチベットの山奥でラリラリの日々を過ごしたという過去の経歴からはちょっと想像できないような感じの人だ。規制物質や薬物をたしなむというよりか、そういった物質の撲滅運動をしていますと言われたほうがしっくりくるような、そんな禁欲的な感じの人である。そう、かつて学生の頃は『びっくりハウス』を購読しYMOや戸川純などを聴いている、いわゆる宝島少女系であり、やがてその後はニューアカの浅田彰なんかを読んでいましたという過去の経歴を聞いたとき、ぼくはようやく、さっきから風任さんが誰かに似てるなあ...と思っていたのが浅田彰だということに気づき、ひとりで納得してしまった。うっかりそのことを本人に漏らしてしまったところ、風任さんは『まあ「ガッツ石松に似てる」と言われるよりはいいよね』と言っていた。ガッツ石松に似ているというのは、風任さんがかつて愛読(?)していた『桃尻娘』の橋本治のことであるが、もし仮に風任さんがガッツに似ていたとしても、さすがのぼくもそれを本人に対し口にするのは控えたと思う。ところで、ぼくと風任さんがOFF会をしたら、二人の共通の知人であるドイモイさんの話で盛り上がったかと思う人もいるだろうが、そんなこともなかった。むしろ、秘密結社 日本インド化計画の岡崎支部長(と噂されている)放浪の達人氏のことや、かつてぼくと放浪氏と一緒にOFF会をしたことがあったオダギリチガ氏の話の方が時間を要した。とくに風任氏とオダギリチガ氏の共通点はぼくが指摘するまでもなくご本人も自覚されていることであり、本人もじっくり話してみたいとおっしゃっていた。この日記をインターネットカフェで書いているので時間がないので先を急ぐが、ぼくたちは風任さん行きつけ(?)の中国料理店で犬その他を食べた。風任さんはすべての注文を中国語でしていた。ぼくの耳ではネイティブとは区別がつかない。あとで風任さん本人に聞いたら、その店の店員も風任さんが日本在住の華僑か何かだと思っているのではないかと言っていた。風任さんの中国語はそれくらい流暢だ。犬の肉は筋っぽく、ときどき犬の体のどの部位なのか想像してしまうような肉片も混ざっており、決して食欲をそそられるものではなかった。たぶんもう二度と食べようとは思わない。さすがのぼくも全部食べ切れなかったので、最後に残した犬の肉に合掌した。ほかの食べ物はそこそこ美味しかった。時間がないので要点だけで済ますが、風任さんの口ぶりを聞いた限りでは風任さんが中国を愛しているといった印象は受けなかった。ぼくは英語を学ぶ上でイギリスやアメリカ(やカナダ)をそれなりに愛し、だからこそその国の言語を学ぶ気にもなったわけだが、風任さんがあそこまで流暢な中国語を身につけたモチベーションが何だったのか、風任さんと新宿駅で別れてからふと不思議に思った。そうそう、中国東北地方の料理を食った後でそのへんの地下の喫茶店に入ったのだが、なぜか赤いクッション地で三方を囲まれた個室に案内され、おまけに「ごゆっくりどうぞ。」などと店員に言われて個室のカーテンを閉められてしまった。いったい我々に昼間の2時からどうしと言うのか、ケーキセットを食いながら二人してちょっぴり困惑した。その個室の体験は今回のOFF会のハイライトなので、あとでカナダの自宅に帰ったら画像をアップする。(つづく)