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かなり前のことです。
専門外のことでしたが、このままではきっと、どなたもやらないだろうと感じ、自ら手を挙げて、引き受けたことがありました。 専門外といっても、好きなことでしたから、面白そう!私で役に立てるならと思ったのです。 しかし、その時、私のすぐそばにいらした、人生の大先輩が「芸は身を滅ぼすって知ってるか?いいか、身をたすくのではないぞ、滅ぼすんだ」とおっしゃいました。 その時、私は冗談だと思い、大笑いしたのです。(実際、私が受けた仕事もなんなく片付きました) しかし、今になって、この言葉は冗談などではなく、その方の経験から出た言葉であり、本当のことだとわかりました。 今日、私のところに地元の小学校の学校応援団という方から、お電話がありました。 この学校応援団というものが私にはよくわかりません。 保護者なのか、それとも地域の方なのか・・・ お話の内容は、この秋、まとめの発表会も含めて、計六回、一回が90分、クラブ活動のような音楽関係の授業を無償でしてほしいというものでした。 その小学校の子供たちが、何人も私のところにお稽古にきていますし、私もその学校の卒業生でもあります。 社会貢献とか、恩返しということから考えれば、お引き受けするのが当然なのでしょうが、このシステム、どうしても疑問が残るのです。 技術というものは無形で目に見えません。 しかし、もし、私の技術が形あるものだとしたら、こんなお願いをしてくるでしょうか? お月謝を払って教わっていることを無償で教えてということは、いつも売っているものを、ただでちょうだいとお願いしていることと同じだと思います。 授業なら、先生たちがすべきです。 先生たちで出来る方がいなければ、非常勤講師としてお願いし、その講師に相当の謝礼を支払うべきです。 今は出来ないことも、きちんとお月謝を払って習いに行き、それから子供たちに教えてもいいのではありませんか? 授業ではないというのなら、その時間の内容を先生と相談する必要はないはずです。 公募して、無償であることを承知で応募してきた方に全面的にお任せして、お願いすべきです。 予算がないというのなら、こんな企画をしたことが間違いだと思います。 PTAで飲み食いするためになら、平気でお金を使っておきながら、 肝心な子供たちのためということに使うお金は惜しみ、無償でしてもらおうことしか考えない。無償がいやだと言えば、きっとその人の心が狭いようなことをいうのでしょう。 ボランティアという言葉を無償とお考えの方が多いようですが、それはまちがいです。 自ら手を挙げて、やりたいといったら、それがボランティアであり、依頼したものはボランティアとはいえないのです。 ボランティアには有償と無償がありますが、いずれにしても、自ら手をあげたものでなければなりません。 学校応援団は、自ら手を挙げた方で、お電話下さった方もそうなのでしょう。 でも、私は、学校応援団でもなければ、自ら手を挙げたわけでもないのです。 内容ではなく、学校応援団として、手を挙げた方の中から授業する人を探せばよいのではありませんか? こんな学校のためにだけ都合のいい、勝手な依頼に付き合っていたら、確かに芸は身を滅ぼします。 このやり方、文科省が推進しているというのですから、驚きます。 厚意に甘えるのもいい加減にして欲しいものです。 私は、大好きな音楽で身を滅ぼしたくありません。 何より時間を費やしてきたもの、努力してきたことを、大切にしたいのです。 私がしてきたことは、価値のわからない人に無償で与えてもかまわないと思えるような、いい加減なことではないのです。 人が、人生の全てをかけて培ってきたものを、ただでもらおうなんて、ムシが良すぎると考える方が、そこには一人もいらっしゃらないのでしょうか? 全財産を下さいといったら、すぐに渡す人なんていませんよ。 私は、頼まれたらいやと言えない損なタチです。 おそらく今まで依頼された役をお断りしたことは一度もなかったと思います。 しかし、今回はどうしてもこの依頼をお引き受けすることが出来ません。 文科省も教育委員会も考え直して下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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