感動出来る心
11月に行われる合唱祭に向けて練習が始まっています。私が中学生のときに歌ったモルダウ(今はプルタヴァともいいます)や大地讃頌は今でもよく歌われています。長い間好まれる曲は、名曲ということでしょうね。一方、16分音符と4分音符がタイで結ばれたリズムなどがたくさん出てくる歌も多く、新しい歌もとても素敵です。最近よく歌われている曲は歌詞がとても美しく、聴くたびに心洗われる思いがします。本当に大切なのは人を思いやる優しい気持ち、みんな不安を抱えて生きているけれど、仲間がいるから大丈夫だよ、一人じゃないよ、生きていることはそれだけで素晴らしい、どんなに辛くても諦めちゃいけないよ…こんな歌詞に、車の中で聴いていると、泣けてしまうこともあります。これって、私が音楽好きだからでしょうか?私の友だちで、今までずっと我慢してきたけれど、ご主人とこのまま一緒にいるのはもうイヤだと悩んでいる人がいます。そんな彼女に、「素敵な歌がたくさんあるんだけど、こういう歌を聴いて、ご主人の態度が変わるということはないのかしら?」と話してみました。忘れていた優しさや、大切なことに気づくのではないかと思ったのです。しかし、友だちの反応は冷たく、「あのさ、あなた、あの人が何歳だか知ってるよね?もう50歳過ぎてるのよ!そんなことで気持ちが変わるわけないでしょ?」「本当に困っちゃうのよ、あなたみたい、世間知らずの幸せなお嬢様奥さんには、子供でもそんなことわかるわよ」彼女のいう通りなのかもしれません。でも、私は何と言われようと、大切にしなければいけないものは何なのか問続け、美しい音楽や言葉に生涯感動出来る自分でいたいです。純粋な気持ちを忘れてしまった大人に、子供たちの心を育てることはできないはずです。