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起きて半畳寝て一畳(その1)
表題は、大昔に禅寺の老師から教わったことわざです。 出典は「韓詩外伝」らしいですが、禅僧が住まう修行道場の禅堂では、その修行の座がそのまま座禅の場であって、そこで就寝すると教えられました。 つまり、禅道場では畳一枚が自分の居場所として与えられ、そこで寝て、食事をし、座禅を組む。一日がその畳の上で過ぎていくのです。 カトリック教徒ですが、学生の頃から座禅を良く組んでいました。私の学生当時からカトリック教会と禅宗とは仲が良かったので、日本各地にカトリック禅センターが作られ、教会の中でも座禅が流行っていたのを思い出します。 曹洞宗の永平寺の管長がお亡くなりになった時、当時のカトリックの京都教区長の田中健一司教に「カトリック司教の盛装で葬儀に参列して貰いたい」と要請があったそうです。その司教は神父だった頃に私の指導司祭(神父)だった人です。 また永平寺だったと思いますが、ドイツのベネディクト会の修道士(ブラザー)が来日して、一緒に声明を唱えたり修行をしたりしていました。 そして今度は永平寺の修行僧がドイツのベネディクト会の修道院を尋ね、そこで修道生活を体験したとの事です。 その時の事、 「カトリック修道会は美味しいご馳走を毎日食べているのですね?我々は粗末な食事なのに・・・。」 と禅僧が呟いたそうです。 それを聴いたブラザーが、 「私たちは一生この修道院から出ずに、ここで生涯を閉じます。そしてこの食事は一年中変わる事がありません。」 と答えたそうです。 すると、 「私たちは修行の時だけ禅道場(禅寺)で修行し、その後は自分の寺に戻るのに、一生ここで!!!」 と絶句したと私は聞いています。 参考になるかどうか判りませんが、イエズス会司祭「フーゴ・ラッサール」に関するページをご覧下さい。 「カトリック禅」の提唱者の司祭=神父で、日本だけでなく全世界のカトリックに座禅を組むことを提唱した司祭です。 さて現在の私は、写真のように「起きて一畳半、寝て一畳」の生活です。 実際に病で臥せっていたためにずっと「寝て一畳」でしたが・・・。 健康な時でも、この場から離れる事が少なく「起きて一畳半、寝て一畳」の生活です。 流石にここで食事をすることは有りませんが、殆ど一日がここで過ぎ去って行きます。 奥の黒っぽい物は・・・学生の頃からの変わらぬ寝袋で・・・私は寝袋で寝る習慣です。 以前はこの自宅の二階に在る二畳の書斎兼研究室兼実験室で一日を過ごし、そこで寝る事は有りませんでしたが「起きて二畳寝て一畳」生活でした。 ですからこの頃より、より一層「起きて半畳寝て一畳」に近付いたのでは?と思って居ます。 現在は研究費が底をついてしまったので、新たな実験器具を購入出来ず実験が続行出来なくなり、ここ「書斎兼研究室兼実験室」を使っていません。 ここには実験機器や測定器を設置しています。他にはデスクトップ・ノートパソコンなどが十台ほど居座って居ますが、それぞれの設定が違うので、実験の制御やデータ処理にしか使えないパソコンばかりです。 ここは三階の書斎兼データ解析コーナーです。 長期間の計算の為にここではデスクトップしか稼動していません。ノートパソコンでは熱暴走してしまいますので・・・。 やっとまともな書斎らしいところが三階のここです。 ご存知のようにソフト(アプリケーション)は、各OSの仕様に依って動作出来るかどうかが決まります。 このパソコンはWindows3.1で動作し、基本的にDosのソフトを動作させています。 ですから、一台のパソコンがデータ解析計算に入ると、そのリソースを使い切るような計算をさせますので、他の処理が出来ません。 そこで一台・二台・三台と増え続け、以前は六十台を少し切り、現在は四十数台が稼動する状況です。 小説執筆は、このパソコンの前に座って創作しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 3, 2013 10:39:05 AM
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