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これといってテーマがあるわけではないけれど
何でも良いからキーボードを叩いてみようという気になりました。 支離滅裂なシリーズになりそうですが、よろしかったらお付き合い願います。 <あるもの> 「神」と称せられる存在は数多くあります。 人間はこの宇宙の中で発生し、今現在生きながらえているわけですから その存在を許してくれている環境は、特別な『存在』であると言えます。 太陽も月も風も雨も、すべての森羅万象が人間を支えてくれています。 存在者を相対する『存在』と区分するとすると 「私と言う人間」以外はすべて「神」であると言ってよいと考えます。 私が認識する『神』とはそういう存在です。 ただ私達人間が混乱に陥るのは、『神』がものを言ってくるからです。 人間は長い間病気になるのは「たたり」であると考えていました。 しかし顕微鏡などの科学の発展の結果、病原菌なるものを「認識」できるように なったのです。 実際の目で認識できないものは「存在しない」と同義でした。 しかし科学が発展した今でも、機械による観測で認知されないものは 「存在しない」と判定してしまいます。 素粒子の研究においても「一番小さい物質」は何かを探しているわけです。 「あるもの」「ないもの」を探そうとしているわけではありません。 「なきもの」は「ない」からです。 しかし「神」と称するものは「あり」ます。 認知できる太陽や月はもちろん、霊能力者を通じて発言してくる言葉は 「まっかな嘘」であれ「真実」であれ、認識される「存在」となります。 言葉として文字になり、絵画として映像となります。 空想の世界である「曼荼羅」はその瞬間に「存在」となり、「あるもの」となります。 「我は神なり」 「我を神と呼べ」 こう発言した瞬間に「あるもの」になったのです。 「なきもの」「あるもの」 じっくり思いふけってみるのも面白いかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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