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最終的に、別の女を選んだけれど、相手は自分を一番愛してくれていたのだと思う、と。 そう思うなら、それでいいじゃない。 愛されてた、幸せだった、それでいいじゃない。 コタエの出ないことを、あれこれ想像して、膨大なエネルギーを消費するより、そう結論付け、終止符を打った方が、あなたも楽で、幸せなのでは、と思う。 相手の不幸を心底願っているとは思わない。 けれど、なぜ口にするのだろう。 そうすることで、傷は癒される? 誰かが、相槌を打ってくれることで満たされる? 本当にそうだろうか。 他人の不幸を願う人に、幸福は訪れるのだろうか、とも思う。 随分長い間、負のエネルギーを費やしてきたんだな・・・と。 簡単ではないのかもしれない。 でも、それだけのエネルギーを、プラスに向けたらどうだろう。 相手の幸せを願うことが無理だとしても、自分が幸せになりたいと強く願ったらどうだろう。 誰かを憎み続け、不幸を願うことは、同時に、自分が幸福になることを拒み続けているようにも感じる。 一方で、誰かを傷つけ、不幸にしてしまったと感じ、自分が幸せになることを拒絶する人もいる。 でも、大きな勘違いではないかと思う。 幸せは自分の手で掴むもの。 小さな幸せは溢れてる。 身の回りの小さな幸せに感謝して、もっともっと幸せになりましょう。 幸福を願いましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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