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テーマ:気になったニュース(30835)
カテゴリ:ニュース
新聞を読んでいて気になる。
「かもしれない」 文章の最後に「かもしれない」を付ける。 なぜその前で断定しないのか。 そう考えた、こう思うのなら、 そうかもしれない、と曖昧にしなくてもよい。 日本テレビ「ヒルナンデス」で紹介された今治タオル認定タグ付の「美肌湯パック」はRelaxation&Beauty。「気持ちい~い!」「つるつる!」 きょうの「大波小波」(東京新聞)を例に借りれば次のようにある。 「比喩は本来、個人の認識を豊かに表現するものだが、残念ながら国会答弁では、事実を政治家にとって都合の良い認識に塗り替えるための、「印象操作」の道具に堕してしまっているのかもしれない(誤用学者)」 誤用学者氏はなぜ、「堕してしまっている」「堕している」と断定しないのか。 「かもしれない」には「そうだ」「そうである」と共に「そうではない」を含む。 事実はどちらかですよと表現する。 どちらか一方を選べばどちらか一方を指すし、どちらか一方を指さない。 堕してしまっているのかもしれないし、 堕してはいないのかもしれない。 どっちなんだ。 現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史 イースト新書 / 北田暁大 【新書】 こういう曖昧語尾が増えているのか、 むかしと同じか減っているのかは知らない。 このところ気になっているということである。 活字系だけでなく、 テレビでも曖昧語尾に気付いた。 「どうなんでしょう」 ~ですが、さてこれはどうなんでしょうね? MCとコメンテーターが意見を述べた最後に 「どうなんでしょう」 と付け加えた。 さんざん批判した後に、この批判はそう断定したわけではありません。 そういう考え方もあると申し上げただけですと、 後日の抗議を避ける手法。 それはどこもかしこも批判、非難社会であることを表している。 訴訟されることにもなる。 油断できない社会であることを表している。 もう一方で、批判、非難しやすい社会であることを示している。 誰でも彼でも、誰も彼もが、 喋る場がある世の中ということだ。 そこで必要になるのが、 最後に逃げ場を用意しておく用意周到さだ。 曖昧語尾は責任逃れである。 曖昧語尾は責任逃れをしているのかもしれない。 曖昧語尾は断定による訴訟を避けているのかもしれない。 曖昧語尾は名誉棄損などで訴えられたとき、 「そう断定はしていない」 「読者の判断に任せた」 と逃げ道を作っているにちがいない。 「ちがいない」も同じ。 【新品】【本】優しい言葉 群ようこ/著 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.07.29 08:10:07
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