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カテゴリ:私のお仕事
年度末を迎えて、娘の学校のこと、職場のこと、色々書きたいことは山積み。
少しずつ、更新して行きたいと思います。 退職するに当たり、一番の憂鬱は「離任式」 全校児童の前で挨拶をするんです。しかも、職種の順序で言うと、私はトリ 毎年、先生達、感動の挨拶をして、号泣ムードになる式で・・・・。 でも、幸い、今年の先生達の間で「アッサリ行こうね」と事前に協議&密約。 それでも、プレッシャーで蕁麻疹もニキビも出る中、ドキドキしながら 体育館で並んでいたら、私を紹介する大ボスが 「次の学校、何処か決まってる」と、とんちんかんな質問。い、今ですか 「まだ次の仕事の採用不採用も決まってないんですけど。」 と説明したら、更に驚くべき質問が。「じゃぁ、どう言って紹介したらイイの」 ガーン ビックリするわぁ。 大抵、次の仕事に推薦、後押ししてくれる筈の、このボスの立場っていったい・・・・・。 先日、上司の話も愚痴りましたが、こんなコンビの職場なので 私なんかは別にいいんですけど・・・・・職員達に保護者達、本当に大変です。 でも、ズッコケたお陰で、式は無事に号泣する事も無く、厳かに終えることが出来ました。 そんなこんなで、職場はもう新年度に向けて、職員達の机の移動、教室の移動 誇りっぽい、慌しい雰囲気になってきて・・・・改めて、自分は去っていく立場だなぁ、って。 「実感沸きますか」って話しかけてくれた先生が居ますが 今となっては、辞めていく事よりも、この職場に7年も居たって事の方が 夢だったんじゃないかと思えてくる感じです。 荷物の整理をして、ちょっと帰りが遅くなったのですが、駐車場を出た時 見覚えのある親子がチャリに乗ってるのを発見 慌てて、駐車場に戻って、車を降りて親子に駆け寄りました 何年振りかに会った君です 君は普通学級にいましたが自閉傾向が強くて、支援員などもまだ無い時代 特別支援教育がまだまだ模索中、委員会も管理職も意見が合わず、いつも揉めていました。 まだ情緒学級が開設されてないこの学校を、結局は転校していってしまったんです。 そのすぐ後、教職員は半分以上総入れ替えになり、特別支援への考え方も変わっていき 今では情緒学級もできました。 私が、まだ「自閉症」なんて言葉を全く身近に感じて居なかった時 当時のコーディネーターの先生の後押しがあり、私は彼と仲良しになれました。 支援員になろうと思ったのは、一番は勿論、自分の娘のためです。 でも、この君との出会いも、応募のきっかけの一つですね。 普段、それほど子供達と深く関わる機会は無いのですが この君との出会いや別れ、多くのお思いでは私にとって宝物です。 恥ずかしそうに笑うその笑顔は、全然あの頃と変わりなく可愛いものでした。 最終勤務日まであと3日を残し、彼と親御さんに会えて、お話できたのは 神様からのプレゼントかもなぁ・・・・ これで、本当に、思い残す事無く、この職場を後にできるなぁ、って 最後に、最高のご褒美を頂きました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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