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無事にお通夜・告別式が終わりました。
(おばちゃんとの個人的な思い出を綴りますので、スルーしていいですよ~。) 今回、母が何も教えてくれなかったので、お通夜で初めて解ったのが、 昨年末に肝臓癌を発症し、5月には脳梗塞も起こしたと。 母を問い詰めても、おばちゃんの事を話したがらない。 気の弱い母らしいと思いつつも、知らなかった事を悔いてなりません。 先月倒れてからも、他の親戚にから電話があっても詳しく話せなかったらしいのですが 人一倍優しい従兄弟の一人が、母の曖昧な話し方から、もしや?ただ事ではない?と直感し 亡くなる前にお見舞いに行った・・・・・と言う話もありました。 私も姉も、そんな母を少し責めましたが、母も辛かったんだし、 もう亡くなってしまった以上は、もうその事は言うのを止めることにしました。 お通夜も告別式ももちろん悲しくて涙は流しましたが、 それでも明るかったおばちゃんの式らしく、みんな明るく見送る事が出来たと思います。 ただ、その後、私たち家族にサプライズがありました。 おばちゃんの娘が、こっそり、住んでいたケアハウスの部屋に連れて行ってくれたのです。 「こっそり」と言うのは、仲が悪かった長男のお嫁さんが、遺品について どんな意地悪をするか、処分されたり、隠されたりするか、解らないので・・・・。 おばちゃんの子供たちは、みんな母との深い繋がりを知っているので、 その部屋から、何でも好きな物を、沢山持って行っていいと言ってくれたのです。 うちの家族も何度も泊まり行った施設でした。 告別式が終わっても、本当は実感が沸かなかった私も、思い出がイッパイの おばちゃんのぬくもりがまだ息づいているその建物の中に入ったら、涙が止まりませんでした。 もう、みんなでここを訪ねてくる事もないんだと思うと・・・・・。 おばちゃんの娘は、遠く離れて住んでいます。 それでも、おばちゃんと私たちの思い出の品物、一個一個エピソードを知っていました。 遠く離れて住んでいても、おばちゃんとよく話をして、何でも聞いていたんですね。 近くに住んでいる私と母よりも、色んな事をちゃんと知っていると思います。 その思い出の品々を快く、遺品として持たせてくれました。 おばちゃんは死期を悟っていたようで、母から借りてる着物などには 死後には母に返すように・・・・・と、一筆書いて保管してありました。 お嫁さんとは本当に仲が悪かったので、そんな品物でも知らん振りされてたかも。 洋服なんかはどうせ、捨てられちゃうので、それなら母に着て欲しいと持たせて貰いました。 山のように背負って持って行ったので・・・・泥棒と思われなかったかしら~!! でも、この服は母が一緒に選んで買った物だとか、この服を着て一緒に何処に行ったとか 一つ一つ、おばちゃんと母との思い出がイッパイつまっていたので、嬉しかったです。 遺影も、自分で用意していたし、(もっと素敵な物があったので使わなかったそうですけど) 戒名も自分で用意していたし、残された者は困らないようになっていたそうです。 その施設を後にする時、さすがの私も涙が止まらず。 今回初めて、パパに運転を代わって貰いました。 人を見送るのって本当に辛い物ですね。 家族同然の伯母さんだったので、もっとこうすれば良かった・・・・・と、 あれこれ思ってしまうのですけれど。 私が寝ていると思って、母がおばちゃんの娘に話していたのを聞いていました。 私たち娘に叱られると、私が邪魔なんじゃないかと思ってしまうとか。 それでも、私が居ないと困る事も多いと思うので、もう少し生きようと思うって。 私は母が大好きだし、尊敬もしているのだけど、そんな風に思うんですね。 そう言えば、私も娘に本当に嫌われているんじゃないかと思ったりするもんな。 だから、おばちゃんに関する事も、もっと言いたい事はあったけど言わない事にしました。 最後に・・・・・今回の事に関して、我が娘の事を少し書こうかと思いましたが 長くなったので、また改めて、書きに来たいと思います。 今日はここまで・・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年08月25日 13時42分17秒
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