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6月イベントのお題は
「家族葬」 90分という貴重な時間。 そして開会されたすぐの朝の時間。 全国から集まられる経営者やスタッフ。 手ぶらで帰って頂くわけには行かないし つまんないと弊社の価値が無くなる。 「家族葬」 いろいろな文献を読んでもいまいちピンとくるものが無い。 こじんまりした葬儀 家族や近親者のみで施行する葬儀 無宗教の葬儀 ネーミングからすると「家族」だけで 故人を送る。内向きの儀式。 今までのお葬式はどちらかといえば社会的意義の高い儀式だった。 家族は故人が生前お世話になった関係者の皆様にお礼を陳べる。 宗教儀式であってもそうで無くても社会的儀式であった。 今からもそうだろう。 それが「個」というものを大切にし始めた現在「家族」という 単位で内向きのお葬式に変わってきた。 デフレがひどかった時に 「費用をかけないお葬式」であったり 「定年退職をして数年経った喪主が仕切るお葬式」であったり 「ご近所付合いが希薄なマンション住まい等」のお葬式であったり ようするに人数の少ないお葬式を「家族葬」なんて銘打っていたのだ。 けれども今からの時代そのようなお葬式を「家族葬」と言っていると お葬式を生業としている業者の生残りは困難になってくる。 「家族葬」とは特別の○○ というふうに考えないと行けない。 人数の少ない人々のお葬式と「家族葬」を分ける必要があるのだ。 エンバーミング等の遺体保存技術も向上し 数日間かけてお別れをすることも可能になってきた。 宿泊施設とお別れの場が一緒になった葬祭会館も増えつつある。 特別の人(故人)と特別の空間で特別の時間を過ごす。 そして特別の人とのお別れを 特別の人の好きだった 好きだった食事であったり、好きだったお酒であったり、 好きだった音楽であったり、 趣味であったり 親しい友人であったり 「好きだった」がキーワードで行われるお葬式こそ 「家族葬」なんではとまとまってきた。 昔 祖父の通夜では祖父の好きだったお酒と料理が振る舞われ 祖父の友人達や家族、親族達が 今は語らなくなった祖父の 想い出話を 祖父(ご遺体)を中心に同じ部屋で語らっていた。 大好きな祖父の知らなかった一面や、母の子供の頃の話 私が忘れていた祖父との思い出等々とてもとても素敵な 想いで深い通夜だった。 そして翌日は普通のお葬式だったけれども 通夜の風景は数十年経ったいまでも鮮明に覚えている。 これこそが「家族葬」の原点なんだと思う。 いろいろな意見があるだろうけれども そのような別れ方をした人々は「お葬式」の大切さや 価格だけではない「満足感」を覚えるのではないだろうか? 原点に戻る。 それが新しい時代への最初にしなければならない作業ではないのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.05.28 09:50:22
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