|
カテゴリ:カテゴリ未分類
何回も何回も繰り返して発信をしても、その度に不具合で配信できない旨の案愛メッセージが届いてしまう。
メールアドレスを確認して、できることをしても、日を改めても同じ結果に気が滅入るのだが、執拗に繰り返して配信の作業をしている自分がいて、作業をしながらどうすれば良い結果がでるのか、無い知恵を巡らせてしまう。 年明け早々に東京である研修セミナーの案内と、参加を問うメールを出して、参加の集計をしているのだが、10数名から返信されてくる内容で、その人が持つ個性が伝わってきて、人を俯瞰してみれる機会にもなっている。 返信や応答が素早い人もいれば、遅々として反応が無く、待つ身である立場がとても不愉快に感じることになるのだが、気にするほど気分的な不快感が増してしまうもの。 その人の考え方や価値観の差異があり、基本的な人様との礼節を理解するのであれば、配信がされたら適度な日で持って確実な返信をするべきであろう。 問い合わせる内容の返信をすることで、自分の責任を果たすことができるし、その返答の内容でその人の持つ徳目が伝わってくるし、人間性の発揮のしどころでもあるから、たかだかメールの返信で解釈されたら軽薄だと思う。 メールを受けとっても内容を把握しても、だんまりの無視をする根性が分からないし、その人の心魂にある性格が理解できないのだが、こうした悪癖を持つ人の中には、一見した外聞が良さそうな責任ある立場の人もいる。 此方とすれば人格者であると評価をしている人からすれば、あまりにも大きな差異がショックであり、期待を裏切られた失望感が大きくなる。 世の中で一応の評価を頂いている人であればあるほど、自覚する責任感は比例するだろうし、自覚をする必要があると信じてしまう。 メールの返信一つをもって、その人となりを評価すること自体が稚拙であるかと、自問自答をしてしまうのだが、たしかに、人は人としてみれば、自分の生き様を確りと構築させて、人から懐疑心を持たれないようにすることが肝心なのかもしれない。 人の振り見て我が身を正すこと、こうして吐露を書き込んでくると、改めて自身の生きる姿勢を正すことを、もっともっと厳しく見つめ直すことが肝心であると気づかされているようである。 まだまだ幼い小心者な証拠であることを認識しながら、稚拙な文章を書きこんである自身に、もっともっと叱咤激励が必用でもあることも反省をしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.12.24 16:45:22
コメント(0) | コメントを書く |