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来客が無い時には必ずと言って事務所には愛犬姉妹二匹が鎮座している。時々来客も呆れ顔で二匹の頭をなでながら、事務所での一時を過ごすこともある。
夕刻の散歩を終えた姉妹が事務所の階段を昇り、疲労感を身体の伸びきった寝姿に漂わせて、暫しフローリングの冷えに心地よく眠りこけていた。 仕事もひと段落して、夕飯に帰宅しようと二階にある事務所の階段に向かった。姉犬は鉄骨でできた階段の温度が快適なのか、眺めを楽しんでいるのか、散歩仲間が通りすがる様子をまっているのか、心地よさそうにして視線を遠くにむけている姿は、姉である沽券をみせているようでもある。 妹は急な階段が苦手で、毎度抱っこをして貰い帰宅するのだが、まだ孫の抱き具合を味わっていない初老の身として、なぜか納得の和みを感じる一瞬でもある。 そんな小さな幸福感を満喫しながらの帰宅で、家族が観ていた介助犬の訓練の番組は、食事も手にできないくらいの夢中で画面を追いかけてしまった。 車椅子の生活を余儀なくされている障害者の方々を、少しでも生活しやすいように介助をする目的に訓練された介助犬である。厳しい訓練だけに明け暮れる日々、訓練師とのマンツーマンでの特訓は、観る者愛犬家の甘やかしを吹き飛ばしてくれる。 完全な管理生活の中で、厳しい連続する訓練では相当な疲労とストレスがあると思う。その辛さを耐えて訓練に磨きをかける健気さは、いまの人間社会に苦言を呈しているようでもある。我が家の愛犬が事務所を我が物顔で占拠する愚の骨頂は、介護権には全く許されることでない。 今も絶対感で大いびきをかきながら寝込んでいる姉妹は、同じ犬族でも与えられた宿命でもって、介助犬の苦労を分かち合ってほしいと思ってしまう。 それでも、こうした環境にさせた張本人が我が家の住人各人であるのだから、介助犬の御利巧さんから比べれば雲泥の差で納得をしてしまう。 テレビが写す介護の訓練が、粛々と繰り返して障害者に尽す姿は、犬族としても愛犬家同志としても実に誇らしいもの。 なにやら人間社会の縮図をみながら、自身の役割と愛犬との関係を考え直しできるかと考えたが、結果的にはペットであるのか家族の一員なのか、お互いが甘えある構図を納得している現実だけが、紙芝居を観た後の割りきりで、幕を閉じそうな雰囲気になっている。 ひょっとして、介助犬は孤高にも誇り高くもって犬の模範を示しているのかもしれないのだ。人も犬もそれぞれに与えられた宿命をもって、誇り高く日々を生きていくことが最善なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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