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ことあるごとにお会いする方が、皆さん先輩に思えてしまうのですが、何かの機会にその方の年齢をお尋ねすると、後輩だったりするケースが多く、なかにはひと回りも年齢差がある方と出会うこともある。
いくつになっても気が若いつもりでいても、身体の衰えには負けてしまい、最近は肉体的なことよりも、頭脳の働きが鈍くなってきたことが強く感じてしまう。 人様の御名前が直ぐに出ないし、その直ぐの時間が時間の経過と共に大幅に長くなっている現実があって、一人寂しい思いをしている。 それでも天然ボケが功を奏しているのか、若いつもりのままい、興味心を旺盛にさせて、多少でも加齢の弊害を食い止めようと、人生修行の学びを励んでいるところである。 何歳になっても人間性を高めることが必然なのだが、年齢相応の対応が出来ないことを痛切に感じてしまうこの頃であるなか、一工夫も二工夫も心得る努力は欠かさない。 こころの修練と言うものは、日々繰り返しの心がまえが絶対的に必要のようで、多忙を訳に感けていると、ほんとうに直ぐにでも愚かさが悪顔をだしてくる。 一時は若気の至りでもって、結構生意気の風体をしていた時があり、度胸も腕力もないくせに、なで肩を持ち上げて活かっていた時代もあったものだ。 今から思えば実に幼稚で滑稽な時代でもあったが、こうした無駄な時間が成長への反省ときっかけになってくれると感じている。 そんな心変わりがあってから、できるだけ人生観の学びができる本を見つけては手にして、できるだけ感銘深き、心情に訴えてくれる言葉を探している。 随分前になるが一つの諺をみつけた、それは、人に大きく己は小さく心を丸く腹を立てずに気を長く、今では毎朝の誦句に言葉に出していて、日々劣る気力に覇気を取りもどすべき、努力の一端を気構えている。 あらゆる情報から知り得るすばらしい諺に関心をもっているが、身につかない日々の生活に、人としての学びの能力と備わった器の大きさに懸念をしてしまう。 若い時はいざ知らず、70歳を前にしても人に好き嫌いがあることが、じつにくだらない可笑しさをみせてくれるこのごろである。 人の度量を大きくさせて、ご縁があった素敵な諺を有効に活用させることで、粋で元気で多少でも世の中にお役にたてる人を心掛けていこうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.12.08 17:22:04
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