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カテゴリ:私のかわいい両親と楽しい仲間
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今から考えるとこのある午後の土曜日に起きた事件がきっかけで私の反抗期は始まったように思う(うしし…かわいそうな父)
そしてこのことがあってから数年間 私は父が夜遅くまでテレビを見てることさえ嫌だった… それはもちろん 私は父に“深夜番組”など見て欲しくなかったから…(笑) 11時頃になっても父がリビングでテレビを見ていると 勉強しながらも落ち着かず(その時私は高校2.3年生だったので、一応、受験勉強というものに直面していたので) 机に座りながらも “ドンドンドンドン!!!!” “ドンドンドンドン!!!!ドンドンドンドン!!!!!” と足で床を蹴り “私は起きてるんだから!!!” “絶対深夜番組なんか見ちゃダメよーーーーーーーー!!!” と心の中で叫び わざとのどが渇いた振りをしてキッチンに行き “ガチャガチャ”音を出し 自分の存在を父にアピールした(これは全く勉強に身が入っていない証拠です…笑)
実際は…9時頃帰宅する父は、お風呂に入ってご飯を食べて…筑紫さんのニュースを楽しみにしていただけなんですけど(笑)
父はこうした娘の反抗にも耐え続けた…
そして父は寝る前になると果物やケーキを私の部屋まで運び “まだ勉強してるのか??” “あんまり無理しないほうがいいよ” と優しい言葉をかけ、差し入れをし、自分の寝室に入っていく…
優しい父ですねーーーー今考えると…(笑)
しかし当時の私は果物やケーキの父からの差し入れにも 心揺らぐことなく(頑固なんですよ) “そこに置いといてっ、あとで食べるからさー” と素直に喜べなかった(ひどい娘ですよね…ひどい娘なんですよ、本当に…すみません)
しかし父は耐えた…耐え続けた…(ベットの中では冷たい娘の仕打ちに泣いてたかもしれません)
勉強のことには決して口を出さなかった父と母 ということで、私は今まで “勉強をしなさい!!!!!!!!!” と言われたことがない でもこれって逆にプレッシャーで、勉強しなければいけない雰囲気になるんですよね(泣) 受験する大学も自分で決め、父と母はギリギリまでどの学校をいくつ受けるのか知らなかった(私の通っていた高校は一応進学校だったので、どの両親も大学受験に目くじらを立てていたので私の家のような家庭は本当に珍しかった) しかし、ある朝起きると 机の上に 何だか分厚い資料の束が… そして所々、黄色いマーカーで線がひいてある… なんだ?なんだ?なんだこりゃーーーーー?? よく見ると どの大学のどの教授が優れているか どの大学のどの学部が高く評価されているか 父が独自に調査を行っていたのです(理系の人間がやりそうなことですよね) そして何も言わずにそれを私に託したのだった
これには私も少し、ほんの少し感動しました…
というわけで私の反抗期も、父の涙ぐましい努力と辛抱により やっと、やっと、やっと…終わりをむかえた
その後は… 結構、仲良しなんですよー 父は私の友人や彼にもとても優しいので 友人が遊びに来ると お酒を持って横でついだり 料理を運んできたりするわけです(笑)(亭主関白とは程遠い我が家…) 必然的に私の友人から評判の良い父…(親子そろってお調子者なんです)
私が就職先を辞め、お店を持つことになったときも 渡英する決心をしたときも “自分の人生を楽しんだほうが良いよ!頑張ってねー応援するよ!!!” と全く反対しなかった そして経済的にも支援し続けてくれた父には今も感謝しています
仕事に力を注いだ父に “***ちゃんたちにもし経済的支援が必要なとき、お父さんが一番の味方、理解者になってあげるよ” “娘と息子の教育にはいくらでも出資してあげたいんだよ” といわれたときには さすがに泣きましたねーーーー
“鬼の目にも涙”とはこのことですね(笑)
娘の反抗は怖いのですよ、うふふ…(私だけですかね…?)
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