幸せは人から与えられるものじゃない
ブログランキングに参加しています。↓↓↓ぽちっと、宜しく〰️ブログ村で同じく「50代の生き方」のランキングに参加されているお気に入りブログがある。数日前「人生が変わる言葉」という記事を書かれていた。息子さんが、社会人2年目で一人暮らしをすることになり、引っ越ししたお部屋が空っぽになって、数年前なら2~3日泣き暮らしていたけれど、今は違う。この部屋をどんな風に使おうかと考える、というのだ。そして、それまでは幸せは夫や子供(誰か)がくれると信じていたけれど、その考えをやめてから自分は変わったという。それを読んで、そうかーと、思った。自分の場合、物心ついたころから自分を誰かに幸せにしてもらおうと考えたことはなかったように思う。自分のちょっとした行動が誰かを幸せにできたら素敵だなと思ったり、他人のちょっとした行動で幸せを感じることはあるけれど、幸せはいつも自分の心が決めると思っていた。自分がとても生きやすくて、不満を感じることも少なくて、でも、それってどうしてなのかな?と、考えると、上手く答えが導きますだせなかったのだけれど、幸せは人から与えられるものじゃないと、思っているからなのかな、と思った。その昔、長年付き合っていた彼氏が「Kanを幸せにするために、オレは給料のいい銀行に就職する」と、いって銀行に就職した。そもそも、誰かに幸せにしてもらうという考え自体が気に入らなくて、私は誰かに幸せにしてもらおうなんて思わない、そんな女じゃないもんと思ってサヨナラした。(変わってるなー)子供たちが独立していったときも、寂しさはあったけれど、あまりにあっさり受け入れられる自分に「自分は冷たいのかな?」「子供を愛していないのでは?」と、戸惑うこともあったけれど、自分の幸せを子供に依存していなかったからなのかなと思う。「幸せは人から与えられるものじゃない」それに気がついて理解したとき、またはいつの間にかそれが腹に落ちていたとき、誰の何にも左右されない自分軸の幸せが回り始めるのだろうな、と思った。↑我がマンションの前の通りは駅まで続く並木道になっていて、それが最高に好き。夏が終わって徐々に葉っぱが黄色くなって、冬にはハゲ坊主になる。歩道に落ち葉がザックザクになって、踏むとしゃりしゃり音がする。春になって暖かくなってくると緑の葉っぱがわんさか繁ってくる。あまりに大きくなり過ぎてたまに、思いっきり切られることがあるけれど、またぐんぐん成長する。いつも、ここを歩きながら「この道大好き」と、心で思う。(東京都郊外)おまけその昔、伊丹十三さん監督の『あげまん』という映画があって、「あげまん」そして反対に「さげまん」という言葉自体流行っていたことがある。あげまんは、そばにいるとなんだか男の人生を好転させてしまうような女性のことだ。あげまんといわれる人はそれは素敵な人なんだと思う。目に見えて何かをするというよりも、その人のマインドや言動がいい影響を与える人だからだろう。でも、「あげまん」「さげまん」という言葉は大嫌い。夫がその言葉を口に出そうものなら「人の"まん"に頼るんじゃないわよ!」と、不機嫌になる、笑。【バーゲンセール】あげまん【邦画 中古 DVD】メール便可 ケース無:: レンタル落ち●「しあわせはいつも自分のこころがきめる」相田みつをさんの有名な書。しあわせはいつも [ 相田みつを ]ブログランキングに参加しています。↓↓↓ぽちっと、宜しく〰️