112739 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ニャー坊&チャー坊 育児日記

ニャー坊&チャー坊 育児日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

nyar-charママ

nyar-charママ

Freepage List

2006年01月17日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

関西に住んでる人間なら毎年この日になると当時のことを思い出す
と思います。

私は当時学生でした。祇園のスナックでバイトしてたんですが、関西
全体が闇に包まれたようになっている状況で祇園に飲みに来る客も少なくて
祇園町はガラガラでした。
テレビも連日CMなどが自粛状態でユニセフや政府広報のようなものばかり
が流れていたように記憶してます。

学生はかなりの数ボランティアに行ったと思います。
「何かしなければ!!」とものすごく思いましたから・・・。
私も三宮まで救援物資の荷造りに行きました。詳しくは覚えてないんですが、
どこかの駅までしか電車が通ってなくて、バスを待って三宮まで行きました。
その途中に見た風景はブルー、ブルー、ブルー・・・・。
ブルーというのは屋根を覆っているブルーの養生シート。
(地震からはだいぶ日がたっていたので)
1Fが潰れていて2Fが1Fの状態という家も多かった。
自動販売機を巻き込んでいたり・・・。
みんな目的地は違っていても無言で黙々と歩きました。
途中で2人組の中学生みたいな男の子がふざけて壊れた家をバックに写真を
とっていたけど、周りのかなり多くの人から「お前らええ加減にせえよ」とか
「ふざけんな」とかの喝が飛んですごくスッキリしました。

あの日三宮で感じたのはバスを待ったり、(ハンパじゃない人の列だった)
電車を待ったりととにかく不便を強いられる中での人々の冷静さ。
パニックになってもおかしくないぐらいの状況の中でみんな文句ひとつ
言わず、じっと我慢してました。普通の日々の中のできごとならば笑い声
のひとつも聞こえてくるんでしょうが、それも一切なく、ひたすら沈黙の
中で耐えているという感じ。あの震災のときに暴動や事件が少なかったの
が驚き、と海外で取り上げられたと聞いたけど、まさに人間の強さを感じました。

私も「次また来ていただけますか?」とボランティアの人に聞かれたけど、
もう行けませんでした。私はあの場所にもう一度行けるほど強くなかった。
梅田あたりからブルーシートも見えなくなって不思議な気分でした。
こんなに近い距離なのにここには日常があってあそこには地獄がある。
本当にあの日を忘れてはならないと思います。
神戸の人たちにとっては忘れたくても忘れられない日ですから・・・。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年01月17日 13時19分22秒
コメント(2) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X