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この季節、私の親はいつも辞令が出てました。確か2月3日だったような。 うちの父は某公営→民営化した会社(3つのうちの1つだね~)に勤めていまして、 3年に1回は転勤があったのです。おかげで私は横浜で生まれ→広島市→岡山県 笠岡市→山口県小野田市→下関市→広島市・・・・と転々としました。 この2月末の時期というのは「はあ~、また転校か~」という気持ちと「いえ~い、 また違うところだぞ~」というのが半々のフクザツな気持ち。 他の転勤族の子供の人に聞いてもだいたい同じ。みんな3年同じところにいると 飽きてくるらしい・・・。子供って強いよね~。 で、3月の末に引越しして、春のセンバツ高校野球はいつもダンボールとほこりに まみれながら見ていました。今でもセンバツを見るたびにあの気持ちが蘇ってきます。 この「転校生人生」は私の性格に大きく影響を与えていて、協調性は人一倍(そのかわり 合わせすぎていっつもフラフラ)、知らない人とでも平気でしゃべれる、基本的に 性格が「根ナシ草」・・・飽き性でこだわりがない、などね。 今でも旦那に「京都は飽きた~。大阪に引越したい!!」とか「海外に移住しよう!!」とか 本気で言ってるんですが、ここにベッタリの旦那はそんなこと恐ろしくてできないらしい。 へなちょこめ!!! ひとつ自慢のエピソードは・・・・ 中2の時、秋の県大会で3位になったんです。ソフトボールでね。一応エースやったんやけど。 で、その冬に同じ県内の下関市に転校が決まって私もさすがに思春期だったこともあって父親に 食ってかかりました。 「チームもいい成績残して、生徒会の役員にも選ばれて、こんな時に 転校するのはイヤだ。お父さんが単身赴任して!!」 ・・・すると父は「それは絶対ダメ。家族は一緒にいてこそ家族やから」と。 ・・・そこで私は泣く泣く条件を一つ出しました。 同じ下関市内に同じく3位になったチームがあったんです。(3位決定戦はしないからね) 「そこなら転校してもいいけど他は絶対イヤ」と。 そしたら父は「わかった、交渉してくる」といって会社に言ってくれて、見事にその中学に 転校できたんですよ~!!!そのかわり、ものすごいボロい小さい社宅やったんやけど。 おかげで私は転校先の中学校でもすごく喜ばれて、なんと始業式の前から早くも チームに合流し、始業式前から「アイツ誰?知らんけど練習してるで。ジャージ違うし」 みたいなカンジで有名人に・・・。成績はもひとつだったけど、すごく楽しい中学生活でした。 父には感謝してます。今になって父の気持ちはよくわかるしね。 この春のにおいをかぐたびに、私は今までの人生を振り返り・・・反省の日々!! もっと勉強しといたらよかったぞ~!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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