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テーマ:お勧めの本(7402)
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城山三郎氏をご存知でしょうか?
「落日燃ゆ」の作品や「硫黄島に死す」などの作品で知られる、名古屋市生まれの作家です。 城山三郎はペンネームですが、名古屋市栄町に生まれ、結婚後に名古屋市の東「城山町」に引っ越ししたことで、「城山」に決めたそうです。 (詳細は最後にあります・・) 先日、仕事の合間に立ち寄った本屋さん。 新刊本の棚のなかで、眼を引かれた本がありました。 どうせあちらへは手ぶらで行く 「これからは、鈍鈍楽楽で生きる」 とても、心に響く言葉です! 思わず気になって手にして作家の名前を見ると・・「城山三郎」著者 彼がなくなる晩年まで書き綴った日記でした。執筆しつつも、 著者の孤愁の日々。 耐え難い悲しみ、老いとの葛藤、限られた命の自覚。 そして柔らかな軽みの境地。 最愛の妻が倒れる前年から最晩年まで、自らを励ますように綴られた9年間の感動の記録です。 亡き妻の回想本。「そうか もう君はいないのか」 昨年発売後、ベストセラーになったもうひとつの本です。 「そうか、もう君はいないのか」 。 奥様のがん告知、 医師からの宣告は余命3か月でした。 2000年(平成12年) 2月24日。奥様が亡くなられました。 奥様がなくなられてから、城山氏の落胆は大きく、「どうせ・・」の日記全編には、 奥様への愛惜と、一人で生きていくつらさが綴られています。 心にぽっかり空いた洞は、誰にも・・たとえわが子でも、埋めることのできないものでした。 2007年(平成19年)3月22日、城山三郎氏は急性肺炎のため亡くなられました。 奥様「容子」さんが亡くなられてから、7年後です。 。 緑濃しひとりの夏の重きこと、 緑濃し ひとりの夏をなんとせん (8月10日) 余生の指針 楽々鈍 何事も気にしない (楽々正論の楽、筋を通す。井上準之助が好んで色紙に書いた言葉。 「世間は欣ばず。楽しみは正論にあり」。世間が何を言おうと気にしない。 自分の楽しみは正しい論にあるということ。 鈍、鈍、楽、へ行くと、どんどん楽になる。楽々鈍鈍 (8月27日) まるで、自分を励ますように何度も日記に書いています。 ますます高まる憂いと悟り、葛藤と老いを受け止めて、抗わず、よくも悪くも開き直る。 何事にも煩わされず、心地よく、心地よく生きて行こう。 力が入らぬのなら、力を抜いて生きていけばいい。(中略)晩年の心の支え。応援句。 こうした日々を送りながら、 どんなに要請があろうと、亡き妻物は書かぬと言っていた、城山氏が、 奥様との出会いと結婚生活を「回想記」として書き始め、ひたすら打ち込んだ作品が、 「そうか君はもういないのか」でした。 残念ながら、完成を目前にして、79歳で亡くなってしまいましたが・・。 娘さんの紀子さんが未完のままの原稿を整理し、新潮社にお渡したそうです。 次女紀子さんが寄せたあとがきは、「二冊の本」の最後にありますが、読んでいて、涙が流れてしまいました。 この世の中、縁命で出会って、結婚して、ともに人生を過ごす。 「五十億の中でただ、1人、おい、と呼べる」おまえ。 夫婦の絆を、共に生きる素晴らしさを、教えてくれる感動の一冊です。 そういえば 芸能界のおしどり夫婦と呼ばれていた「長門宏之・南田洋子」夫妻。 先日、南田洋子さんがなくなられました。 認知症を長く患い、夫の長門さんは介護の日々でした。 くも膜下出血で倒れられても、なお、泪をこらえ、舞台を勤め、元気な洋子さんでなければ洋子ではない、と言い切りながら、最後に、いっぱいのキスをしたと言います。 50年以上夫婦であり続けたお2人。 残された長門さん、 洋子さんがなくなられた現実を、どう受け止め、この先をどう生きていくのでしょう? 生命は永遠ではありません、 どんな人にも必ず、別れが・・長く生きた夫婦にも別れがやってきます。 その時になって、残された者は、どう生きていったらよいのでしょう。 (若いときはさほど気にならないと思いますが) 老いたとき、特に・・孤独と老いと・・をどう受け止めていけば良いのでしょう。 2冊の本を読み終えて、 夫婦が・家族が、共に生きる事、 それは、 「安らぎ」であり、、人生を生きるための応援歌になる、と言う事を感じました。 時には「けんか」もしたり、「愚痴」「不満」も出てしまいますが、相手があってこそなんですね。 応援歌(応援句)を教えていただきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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