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このたびの東北太平洋大震災で、被害に合われた方に、心よりお見舞い申し上げます。
震災から一週間たった今も、いまだに地震はひっきりなしです。 福島原発問題や大津波で家族や友人を失った方、行方不明の方がいるなか、物資のない中でも お互いに励ましあって、暮らしている方に、本当に精神的な強さを感じます。 (心のケアも大事ですね) 義弟の会社の本社が「宮城県気仙沼市」にあったそうですが、 会社は津波で流され、今は社長とも連絡がつかない状態なのだそうです。 携帯電話や電話が復旧して、安否が確認できることを待ち望んでいる義弟です。 会社が流されてしまったとしても、社長はじめ、本社の方々は、きっと生きていると信じています 被災者の方々が、一日も早く、安心して眠れる日がきますように・・祈っています。 私は、東北地方の大震災の前日に、愛知県に戻ってきていました。 3月11日 午後2時45分ごろ・・・ちょうど銀行で用事をすませ、車に乗って、駐車場の出口に差しかかったところでした。 「いやに車が横揺れしている、今日は風が強いのかな?」と窓を開けて歩道の人を見ても、結構普通に歩いているようだったので、そのまま、会社に戻りました。 その後、ニュースで、大地震を知り、びっくり! もちろん、そのころには、会社の建物も、幾度も大きくゆれました。 津波がおしよせた映像をTVでみながら・・ 東京の事務所(中央区)にいたスタッフに電話をしてもつながらず、現場のスタッフにも連絡はつかず、困っていました。 TVで、都心の交通網がストっプしていることや、そのおかげで、何万人という帰宅難民が出来たことを知りました。 そのころには、ようやく、ツイッターと、NTTドコモの電話がつながり、 事務所の被害は、わずかだったということ、ビル全体は、何箇所か「シーリング」がはがれた・・ということを聞いて少し安心しました。 たまたま、現場が 東京電力本社のある「東京駅」と千葉の石油コンビナートの近く、2箇所にあり、2箇所の現場は、相当被害があった(らしいものの)、スタッフは、全員無事でした。 東北太平洋大震災・・ 二次災害というべき、原発問題。 TVもラジオも毎日、痛ましい現状を伝えています。 何もお手伝いできない現状ですが、 避難所・あるいは東北地方に住んでいる方々のために、できれば、買いだめをしないで済むのが一番の援助かと思います。 停電は困る・・本当に困るけれど、 ずーとこのまま、水も、お米も、インスタント食品も、電池も、トイレロールも、ガソリンも、この世からなくなるわけではないですから、買いだめもほどほどにしてほしいですよね。 (特に被災地より遠いところの方・・ 先ほど、スーパーマーケットに行きましたが、トイレロールの陳列棚に「お一人様2個までにお願いします。」とありました。) 今回のことをきっかけに、 「省エネ」「環境問題」 身近なことから少しづつ、自分達の暮らしを変えていくように考えなおさなければいけないと思うようになりました。 当たり前に使っている水・・電気、 便利さにか負けて、暮らしていたんですよね。私たち。 今までの発電所では、電気の供給量が足りなくなってしまい、電力会社は、日本全国、いたるところに「原子力発電所」を作ったのです。 そういった状況を作ってしまったのも、国民の「生活」そのものが原因だったのだと思います。 昔は、よく、歩き、 日が落ちると、早く寝て、朝は、日の出とともにおきる。 そんな生活の中では、電気はさほど、需要ではなかったはずです。 でも、昭和に入り、テレビ・洗濯機・冷蔵庫・エアコン・その他の電化製品が、安く手に入るようになると、より便利さを求めて どんどん、電化製品を使うようになってきました。 昔、コーヒーは「アルコールランプ」とサイフォンでコーヒーを煎りました。 果物ジュースはすりつぶしました。 かまどで炊いたご飯と、ストーブで煮炊きした煮物がごちそうでした。 そんな時代に戻ることはできないけれど、みんな一人ひとりが、「電気のあるくらし」の見直しをすることで、少しは「節電」できるのでは、と思います。 (もちろん、かくいう私も大反省しています。) 私は、以前から、非常食用に「冷凍食品」の長期保存(おもち・赤飯・おにぎり等)をしていますし、非常事態に備えて、懐中電灯・ラジオ・電池・ガスボンベ」「お水」は、常備しています。 先日、義援金の振込みもしてきました。(日本赤十字) 職業柄、「被災地支援のための派遣人数の確認」も協会からありました。 支援できることはできるだけ協力したいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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