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徒然なる日々

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2007年06月08日
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カテゴリ:人生論
今日の新聞にヤンキース松井選手のインタビュー記事が載っていた。右手を骨折していた時期、不遇と嘆くのではなく、自分のフォームを改革する良いチャンスと捉えて、走り方を変えるトレーニングをしたり、そのときの自分が出来ることを精一杯やったという。その結果、元の状態に戻る「復活」ではなく、元の状態よりもさらに上を行く、「生まれ変わる」ことが可能となった。

不遇の時をどう過ごすか。不遇の状態をどう見るか。

他人を責め、自分を責め、力なく落ち込むか。それとも、この経験から何が得られるかを考え、今自分ができることに精一杯取り組むか。

どんなにもがいてもチャンスが来ない。味方だと思っていた人間に、実は影で裏切られていた。

チャンスがこないことも悲しいけど、味方だと思って信頼していた人に裏切られていたことのほうが、もっと悲しかった。こんな人と一緒に仕事できて幸せだとすら思っていたけれど、結局は八方美人で口先だけの人だったんだな。

この状態において、これから私はどう行動していくべきか。

彼らのことを考えると不快感でいっぱいになるため、できるだけ考えないようにしたほうがいいのだろう。
言うべきことは言おう。でも、仮に彼がそのとおり行動したとしても、それは「私に言われたからやった」までのことであり、「私のためにやってくれた」わけではない。いちど壊れた信頼関係はもう蘇らないのかもしれない。今後、彼の耳あたりのいい言葉をきいても、「他の人にも同じようなこと言ってるんだろうな。」と思うだけだ。口先だけで実行が伴わない人間を、私は信用できない。

こういう状態になってしまったのは残念だけれども、どんな出来事にも必ずそれが起こる意味、意義があるはず。松井選手が不遇な状態を活かして「生き返った」ように、私もこの不遇な状態が今の自分にとってどういう意味を持つのか、今の自分が置かれた状況をどう活かせるか、真剣に考える。後で振り返ってみて、「あのとき、実は私はラッキーだったんだ」と微笑むことができるように。





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最終更新日  2007年06月08日 22時40分45秒
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