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カテゴリ:子供
土曜日に恵子と賢浩が帰ってくるので、夫とニコちゃんと3人でチューリッヒ空港まで迎えに行くつもりでいた。ところが、土曜日の未明からニコちゃんが発熱。39度以上も熱があり、体がものすごく熱かった。頭が痛いと泣き出すし、寝具の上で吐いたり、看病するこちらもクタクタ。
さすがに、高熱の子供を連れて行くわけにはいかない。チューリッヒ空港は、見送りに行った時の1度しか行ったことがないし、そのときは夫の運転だったので、道も不案内だし、ニコチちゃんのせいで寝不足だったので、夫に一人で迎えに行ってもらうつもりでいた。しかし、賢浩には、アテンダントサービスをつけており、迎えの人の欄に私の名前を書いてサインしていたことを思い出した。2年前に賢浩が香港から帰ってきたとき、私が迎えに行った。しかし、事前に記入する迎えの人の欄に、夫の名前を記載していたため、簡単には受け渡ししてもらえなかった。ママとパパのどちらでもいいじゃないか、と思いたくなるが、双方が子供の親権を取り合いしている場合もあるわけで、申請欄と違う名前の人に簡単に受け渡しをしないという対応は仕方のないことなのだろう。それで、今回は、トラブルを防ぐため、私が一人で迎えに行った。 初めて運転する道で、片道120kmほどの距離なのだけど、不安なので、2時間半前に家を出た。途中、事故があり、渋滞に巻き込まれたり、道に迷ってしまったりで、空港に着いたのはぎりぎり。とりあえず、一番近い駐車場に止めようと思ったのだけど、全然空きがなくて、駐車場の建物の中をぐるぐる回る羽目になり、ようやく見つけた駐車スペースに入れるとき、あわてすぎて、ポールにぶつけるという失態。バンパーが軽くへこんでしまい、私もものすごくへこんだ。 走って、BAのカウンターに行ったら、「到着出口で待っていてください。係りがお子さんを連れて行きますから・・」と言われた。到着口に行って確認したら、到着が20分ぐらい遅れるという表示があった。車の凹みを思い出して、悲しくなった。 アテンダントサービスを付けていたのは賢浩だけだったが、恵子も賢浩とアテンダントと一緒に出てきた。恵子が、「ママ、スーツケースの車輪が取れちゃっていたの。」と言った。アテンダントに言うと、「クレームをつけたいですか? それなら、BAのカウンターにご案内します。」と言われた。BAのカウンターでは、「そういうことは、到着フロアの紛失物扱いセンターに行ってください。」と言われた。3階のBAカウンターからまた1階の到着ロビーに戻り、探したが、どこにあるのかわからなかった。また、3階に戻って聞いて、1階に戻った。それでも、わからず、インフォメーションで聞いて、ようやく探し当てた。しかし、そこには電話があるだけで、電話をして、係りを呼び出すシステム。この電話が、またなかなかつながらない。つながってから係りが来るまでにまた時間があり、もううんざりして、このまま帰ろうかとも思った。 ようやく、担当者と話すことができた。本来、スーツケースが壊れたというクレームは、いったん出てしまったら、無効になる。2年前に日本に帰ったときに、スーツケースが壊れていて、成田空港駅で気づいた。疲れていたし、面倒だったので、そのまま家に帰った。その後、クレームをしようと思ったが、それでは無効だということをそのとき学習した。今回も、まず、外に出てから気づいたのか? とその点を突かれた。子供がアテンダントにその場で伝えたが、アテンダントは、「あら、じゃあ、カートが必要ね。」といって、カートをもってきてくれただけの対応だったそうだ。そのまま、彼女に連れられて外に出てしまった、という事情を話した。聞かれたのは、スーツケースを、いつ、いくらで購入したか? ということだった。 夫が買ったものだし、まったく覚えていなかった。「覚えていません。」「見当がつきません」といったら、「言ってもらわないと困る。」と言われた。「たぶん、5年ぐらい前だと思います。でも、値段までは覚えてません。」といったら、「100ユーロですか?200ユーロですか?」と容赦ない。サムソナイトのスーツケースなので、安くはないと思うのだけど、わからないので、適当に、「100ユーロです。」と答えた。すると、「現金は払えない。修理代は、上限60ユーロまで出します。」と言われた。えっ、スーツケースのタイヤを修理するの?どこで? と思った。素直に疑問を提示すると、「とにかく、修理してみてください。できないなら、修理ができないという証明をしてください。その後は、BAとやり取りしてください。」と言われ、簡単なペーパーを渡されただけ。こんな馬鹿なことに1時間も費やしてしまった。 帰りの車内では、二人とも眠い、眠い、と言っていたが、時差ボケをとるために寝ないように努力していた。アウトバーンを走っている時、追い抜いた車の運転席の窓から足が出ていたのでびっくりした。「運転中に手や腕を出して走っている人は見たことあるけど、足を出している人は初めてみたよ。ありえないよー。どうやって片足で運転しているんだろう?」といったら、「ママ、私たちも見たから、何度も言わなくてもいいよ。ママ、何度も言いすぎ。」と恵子に指摘された。「でもね、ママは本当にびっくりしたのよ。今年の夏で一番びっくりしたことだよ。」といったら、「私は、サマーキャンプのとき、ITコースでゲームのプログラムを作っていて、突然プログラムが全部消えちゃったことがこの夏一番びっくりしたことかな。」と恵子が教えてくれた。そしたら、賢浩が、「僕は、ワシントンの動物園にアルマジロがいなかったことと、トランスフォーマー3(映画)がみられなかったことだな。」と言って、「それは、びっくりじゃなくて、がっかりでしょ。」と恵子に突っ込まれていた。トランスフォーマーは見に行く予定にしていたのだが、ハリケーン・アイリーンが来ていたので、中止になったプログラムのひとつだったのだそうだ。「最低だったことは?」と賢浩に聞いたら、「ワシントンの空港で2時間も待たないといけなかったこと。」と言った。「9月11日が近いので、アメリカの空港はどこもピリピリしていてチェックが厳しいだろうから、早めに行った方がいい。」とお隣さんにアドバイスされたそうで、早くチェックインしたら、すべてがスムーズで時間をもてあましたらしい。 家に着いたのは、午後6時半だった。それから、スーツケースを広げて、お土産を見せてくれた。ニコちゃんはさっきまでぐったりしていたのに、賢浩と早速、ベイブレードで対戦し始めた。恵子の誕生日パーティーをしようと思っていたのだけど、二人とも疲れすぎて食欲がないといった。でも、飛行機の中では何も食べてないとも言った。ちょうど寝ていたので、食事サービスを省かれてしまったらしい。また、恵子は、帰りのフライトでも吐いてしまったそうだ。ニコチャンも、まだ熱が下がらず、食欲がなく、せっかくいろいろと用意していたのに、ご馳走を食べたいというムードではなかった。とにかく、ニコチャンと賢浩は食べるより、遊ぶことに熱中していた。私も疲れていたので、早々と寝てしまった。夜中、ハッと目を覚ましたら、賢浩とニコちゃんがDVDのアニメ映画を見ていた。時計をみたら11時半。ニコちゃんはほぼ一日中寝ていたので、眠れないのかもしれない。賢浩も、時差ボケで、眠れないのかもしれない。しかし、強制的にスイッチを消してベットに追いやった。 今朝は、ニコちゃんも熱が下がり、元気いっぱい。しかし、上の二人は時差ボケのためか、10時過ぎても起きる気配がない。しかし、恵子は、荷造りをして、1時半には家を出なくてはいけない。さすがに、10時半には無理やり起こした。そのあとは、荷造りでバタバタと忙しかった。恵子は、朝から、「緊張する、緊張する」を繰り返していた。新しい学校、それも初めての寮生活。すごくどきどきしていたようだ。 恵子が、ニコちゃんに、「恵ちゃんは、もう行くからね。、バイバイ。」って挨拶したら、「賢ちゃんがいるから、恵ちゃんは行ってもいいよ。」とあっさり言われた、と嘆いていた。ベイブレードで遊ぶのに忙しくて、男の子二人は見送りにも出てこなかった。恵子が車に乗って、バイバイって見送ったのだけど、ちょっと恵子が泣きそうな感じに見えた。私も、自分では予想もしなかったぐらい寂しい気持ちになった。アメリカに行くのを見送ったときは、感じなかった虚無感というか、なんというか・・・。子供が手元から離れていってしまったような、大切なものを失ってしまったような、そんな気持ちになっている自分がいて、びっくりした。寮生活といっても、2週間に1度は帰宅するのに、こんなに泣きたいほど寂しい気持ちになるなんて・・・ まあ、そんな感傷的な気分に浸れるのも束の間で、いい天気だったので、男の子二人をプールに連れて行った。賢浩はさっそくクラスメートと一緒に遊んでいた。2時間ほど遊んで、シャワーをして帰ることにした。シャワー室から出てきたら、雷が鳴っていて、みんな帰り支度をしていた。洗濯物を庭に干しっぱなしだったので、急いで帰った。 家に帰ってきたら、ちょうど夫から電話があった。「今、恵ちゃんの部屋にいるんだよ。恵ちゃんにかわるね。」と言って、恵子が電話口に出た。「部屋も大きいし、快適そうだよ。10年生は2クラスあるけど、どちらのクラスになるか、まだわからないの。ルームメートは、同じ10年生で、去年の夏、サイエンスアカデミーで一緒だった子だから、ちょっと知っているの。よかった。」と報告してくれた。顔見知りの子がいたので、心強く思ったようだ。声がすごく明るく感じた。 明日は、賢浩にとっても、新学期。まずは、朝起きられるか、それが問題。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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