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カテゴリ:子供
昨日もほぼ一日賢浩のアメリカ留学の手続きに費やした。
まず小児科に健康診断の予約をとった。 なかなか電話がつながらないので、直接出向いて受付で説明をした。 予約は早くても7月になると言われた。それでは遅すぎるので、なんとかアメリカの学校が夏休みに入る前までにしてほしいと拝み込んで、学校の授業に被ってしまう時間だが、6月17日に予約をねじ込んでもらった。しかし、ツベルクリン注射はやっていないのでハウスドクターのところでやってくださいと言われた。 それで、次はハウスドクターのところに行った。ツベルクリン検査をして欲しいとお願いしたら、「もうドイツではツベルクリン検査は義務じゃないから、注射できるのはこの辺ではT市の肺疾患専門のドクターXXだけ。」と言われた。ドクターXXの連絡先を教えてくれた。 家に帰ってドクターXXに電話。「ただいま電話が塞がっております。このまま切らずにお待ち下さい。」とメッセージのあとにお待たせメロディーが流れ始めた。ところが10分待ってもつながらない。何度もかけ直してようやくつながった。しかし、ここでも予約は早くても7月になる、と言われた。そこをなんとか、と頼み込んだ。「ツベルクリン反応は直ぐに結果が出ませんし、6月17日までに結果を出すという日程で予約を入れることはできません。」と断られた。それでも食い下がり、「じゃあ、注射はしますが、その後何かあってもうちではケアできませんがそれでもいいですか?」と言われた。たぶん結果は陰性になるという根拠の無い自信があったので、注射さえしてもらえればどうにかなると思い、その条件で了承し、なんとか6月13日の予約をとった。しかし午前中なので、この日は学校を早退することになる。金曜日も小児科医の検診で早退だし、こんなことしていいのかなと罪悪感が残った。 午後、ビザの事務局からメールで「入金が確認されたので、インタビューの日程を予約してください」と連絡があった。一番はやい予約で6月8日だった。しかし、受付時間がいづれの日も午前7時半とか7時45分。そんな時間にここからミュンヘンに行くのは電車では不可能。 賢浩は、「ミュンヘンまで一人で行くのは問題ないが、ビザ申請を一人でするのはちょっと・・」と言った。ちょうど夫はミュンヘンで働いていて、月曜日の朝3時半に家を出る。それで夫と一緒に行ってもらい、帰りは一人で電車で帰ってきてもらうのがベストなので、月曜日に予約を入れた。しかしツベルクリン検査と日程が重なってしまった。 ビザインタビューの予約をとったあと、またドクターXXに電話。今回も10分近くおまたせメロディーを聞かされた後、ようやく電話がつながった。しかし、6月の予約はもう無理だと言われた。一番早くて7月5日の午前中。仕方ないので、その日で予約をした。 インターネットで調べて、うちから30km圏内の肺疾患専門医を探した。一人見つけたので、電話をしたのだが、「ただいま回線がふさがっています。もう一度かけなおすか、名前と電話番号を残してください。」とメッセージが流れた。何度もかけ直したがいつも同じメッセージが流れるので名前と電話番号と用件を残した。しかし、電話はかかってこなかった。 賢浩のクラスメートに、お母さんが内科医の子がいる。賢浩はその子にツベルクリン検査をできる医院を知っているか?とWhatsAppで聞いた。彼女はお母さんに聞いてくれ教えてくれたのだが、やはり私達が電話をかけたところだけだった。 ツベルクリン検査を受けるのがこんなに難しいとは・・・ とにかく今の状況ではアメリカの学校が夏休みに入るまでにすべての書類を提出するのは無理。 学校側には賢浩の予防接種の履歴を見せたのだが、水疱瘡について「すでに発症している場合はその年月日を記載し、医者のサインを貰ってください。まだ発症してない場合は予防接種を受けてください。」と言われた。賢浩は幼稚園の時に水疱瘡にかかっているが、それはハイデルベルグ時代の話。今の小児科ではない。そういう履歴も全部健康保険カードに残っているのだろうか?もし残っていなければ、証明できるものがない。 義姉夫婦から手紙が届いた。銀行の明細証明とスポンサーシップ宣誓(?)がはいっていた。賢浩のアメリカ滞在中の全責任をもつこととスポンサーになることを書面にし、裁判所(?)と銀行の印が押してあった。私達も義姉夫婦にアメリカ滞在中の全権を委任する公印証書を作成して至急送ってくれと言われているのだが、夫婦揃って公印役場に行く時間がなく、書面を作成はしたもののそのままになっている。何事もきっちり抜かりのない義姉にとり、私たちとやり取りするのはきっとすごいストレスだろう。しかし逆に私達も義姉からの督促にストレスを感じている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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