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テーマ:海外生活(7774)
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土曜日にVHSのドイツ語コースに通っている。
家から歩いてすぐの場所だから便利。 先生が「WhatsAppのグループを作りましょう」と言った。休む人は「今日行けません」と書き込んだり「宿題はどこですか?」と聞いたりしている。その他には個人的なことを書き込むということはなくて、私も書き込んだことはない。出席できない理由は「仕事で」が多い。その次が「車がないから」という理由。土曜日はバスの本数が極端に減り、授業に最後まで出席すると(16時半まで)もうバスがなくなってしまうらしい。 クラスの定員は10人のはずだったが、13人が申し込んでいた。 しかし13人が揃ったことはなく、昨日は6人だけだった。 久々にルーマニア出身のGさんが来た。 Gさんは息子さんが事故でひどい怪我をして、その看護で時間がとれなかったようだ。 息子さんは友達と自宅の庭で遊んでいて、友達がふざけて投げた電気機器(?)が爆発して大やけどを負ったらしい。友達の両親は「事故はお宅の庭でおきたわけで、監督責任はそちらにある。我が家の保険を使うのは筋が通らない」と言って、一セントも賠償してくれないそうだ。治療費は健康保険でカバーされるが、例えば義足などは片足、片腕だけで、もう片方は自己負担になるそうだ。特別のセラピーも1回だけしか負担してもらえなかったり、健康保険会社に負担をしてもらうには要望書をだして許可を取らないといけないが、時間がかかるので、自分たちで購入したりと、かなりの自己負担が生じているそうだ。金銭的負担も大きいが、遠くの病院まで送り迎えをするとか、日々の看護で、時間的、精神的負担もものすごく大きいと説明していた。 授業ではテーマが職業研修だった。 Gさんはルーマニアで神学を大学で6年間勉強したそうだが、ルーマニアはオーソドックスでドイツのキリスト教とは違うので、ドイツで専門の仕事につくにはローマ・カトリックを勉強しないといけないと言った。ヘブライ語とギリシャ語も大学では必須だったそうだが、その知識も今全く活かすことはできないと残念がっていた。 Mさんもルーマニア出身。大学で農学を5年半勉強したそうだが、やはりドイツで専門を活かす仕事はないと言っていた。ルーマニアでは仕事もあったし、家もあったし、ドイツに来たくなかったが、ご主人の意向で来たとのこと。 GさんもMさんも「チャウシェスクの時代は良かった」と言った。 チャウシェスクなんて極悪非道の独裁者のように西欧諸国では思われているのに、ルーマニアでは嫌われていたわけではなかったのか?とびっくりした。 Gさんは「チャウシェスクはクリスマスの日に銃殺された。よりによってその日を選ぶ必要はなかったのiに、ひどすぎる。だから今ルーマニアは呪われているのだ。」と言った このクラスには旧共産圏出身者が多い。彼らは昔は良かった、と言う。食べ物はなくても仕事はあったし、質素ながらも充実した生活が送れていたという。私にはその感覚がわからないのだけど、私達が想像するほどには不自由な生活ではなかったのだろうと思う。 今シリアで起こっていることは、アメリカにもロシアにも責任があると思う。この政権は良くないから反乱軍を応援しようとか、政権側を支援しようとか、本当にシリア国民が望んでいることだったのだろうか?クラスメートの話を聞きながら、私はそんなことを考えてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年12月19日 05時58分15秒
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