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昨日が仕事納め。
最後にみんなでゼクトを乾杯した。 と言っても帰ってしまった人やもともと休みの人も多く、7人だけだった。 「とにかく17年が無事終わってよかった。17年は。。。な年だった」と社長が話し始めた。年末に大社長の奥さん(社員でもある)が階段から落ちて大腿骨骨折という事故があり、その話から、怪我とか病気の話になった。みんながあれこれ話しているのを聞いていたのだが、Gさんが「みんなの話を理解できている?」と私に聞いた。さすがに「全然わかりません」と言うのは恥ずかしかったので、「えっと・・・100%ではないです」とだけ答えた。「みんなー、XX(私)がいるんだからそんなに方言丸出しでしゃべらないで!」と言ってくれたが、方言だから理解できないのか、ドイツ語そのものが理解できないのか、どれが方言でどれが一般ドイツ語なのかよくわからない。 先日誕生日だったOさんが会社にケーキを持ってきてくれた。アップルパイで、中に干しぶどうも入っていた。Dさんが「Oが持ってきたケーキ食べた?ツィビーベンがはいっていたでしょ。」と笑いながら言った。「ツィビーベンって何か知っている?」と聞かれたので「知りません」と答えた。干しぶどうのことだと教えてくれた。干しぶどうはドイツ語では「Rosinen」という。この発音も曲者で、どちらかというと「ロジーネン」ではなく「ホジーネン」といったほうが通じるような気がする。この地域では「Zibiben」という人のほうが多いそうだ。 この話をNさんにしたら「そうね。でも私の祖母は Weinbeereって言うけどね。」と言った。 「メケレってわかる?ほんのひとかけらって意味だよ。」とかいろいろな人が私に方言クイズを出してくれる。私がドイツ語ができないとみんなわかっているのに「方言だからわからないのよね」と優しい解釈をしてくれる。 シルベスター(大晦日)は何をするの?と何人かに聞かれた。 ドイツではクリスマスは家族と、大晦日は友達とお祝いする人が大半。 クリスマスは厳かに、大晦日はどんちゃん騒ぎ、という感じ。 Nさんは「私はカレンダーで決められた日に集まって騒ぐのが嫌い。だからシルベスターもラクレットを食べるぐらいでさっさと寝るわ。」と言った。 大晦日はラクレット(小さい鉄板でチーズを溶かして、茹でたじゃがいもなどにかけて食べる)という人が多い。Nさんは「チーズはスイスまで買いに行くわ。味がぜんぜん違うから。」と言った。 我が家はここ数年、近所のヨハネス君一家と一緒に大晦日の夕飯を食べている。 今回は我が家に来てもらうことにした。 ラクレットかフォンデューが大晦日の定番だが、ヨハネス君の家では手作りのピザのことが多い。 うちは何でおもてなしをしていいのか悩んでいる。 ヨハネス君の両親は、とてもきちんとした人たちで、絵に描いたような教育者。 食べ物も有機野菜が中心で、パンも自分たちで焼いているらしい。 一方我が家はジャンクフード好きの夫の影響で、食生活は自慢できるところが一つもない。食べ物飲み物は当然ながら調味料に至るまでオーガニックにこだわっている人たちを我が家に招待するのは気が引ける。 彼らの家では余り肉は食べないし、男の子3人もいるのに量も驚くほど少ない。私もそういう食生活に憧れるが、夫と息子がいる限り無理だ。どうしても質より量になってしまう。 ヨハネス君のご両親は花火にネガティブな印象を持っているようで、積極的に関わろうとしない。それでも子供達がしたいと言うので、過去何年かは花火は私が買っていた。しかし去年から買うのをやめた。花火に何十ユーロも使うのがバカバカしくなったからだ。しかもうちは一人、向こうは3人、後片付けも全部私の仕事。 最近は「花火を買うお金を寄付して下さい」という宣伝もよく見る。花火による環境汚染も問題になっているようだ。ドイツでは年末の3日間だけ花火販売が許可される。すでに2日前からいろんなところで爆発音が聞こえていた。聞いていて気持ちのいい音ではない。こういう音は戦地から逃れてきた難民たちのトラウマを呼び起こしてしまうそうだ。ドイツに入国した難民が現地に残る家族を呼び寄せることを許可するかしないかが大連立を組むか組まないかの政治的焦点のひとつになっている。 わが町にも難民のための立派なアパートがあるが、街を歩いていても誰が難民かなんてわからないし、個人的にはシリアやアフガニスタンから来たという人を見たことがないし、話も聞かない。 ネットで日本で言えばNHKにあたる局のニュースを読んでいたら、写真付きの記事にコメントがたくさんついていた。 写真には難民と思われる人たちがプラカードを掲げてデモをしていた。プラカードはすべて英語でかかれており、しかも単語を繋いだだけの拙いメッセージ。 難民はドイツ社会に慣れてもらうため、半ば強制的に語学を学ぶ機会を与えられる。彼らは昨日、今日ドイツに来た人たちではないはずだ。それなのに、何故プラカードが全部英語なのか?写真を見た時に私も不思議に思ったが、コメントにもその点を疑問視している人が何人もいた。 また「家族を呼び寄せる必要はない。彼らは戦争が終われば祖国に帰るべきだ。祖国で家族で暮らせるようになるのが一番だ。彼らがドイツに住みいてしまったら、いったい誰が祖国再建をするのか?」という意見が多かった。 そもそも危ないところならば、何故大切な家族をおいて自分だけ逃げてきたのか? 無事にドイツにたどり着けるか一か八かのかけだったから、そのリスクは一家の大黒柱が負ったというのが彼らの理由。 なぜ未成年を一人でドイツにいかせたのか? 身寄りのいない未成年はほぼ確実に難民として受け入れてもらえるから、子供の将来のために送り出したというのが彼らの理由。 ドイツに着いたら家族を呼び寄せようと思っていたのに、2年間の呼び寄せ停止。 家族の呼び寄せを拒む法は人道的にどうなのかという意見。 これ以上の財政支援に難色を示す現実派。 日本に住む友人からは難民問題について聞かれることもあるけど、正直私の身の回りには何の変化もおこっていない。ただ表立って言わないだけで、心のなかでは皆同じように思っているのではないかと思う。 とりあえず、2018年が平和な年になるように祈らずにはいられない。 痛ましいニュースが世の中からなくなりますように! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年12月30日 19時16分07秒
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