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May 7, 2008
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テーマ:海外生活(7773)
カテゴリ:イタリア生活
イタリアで一番正しいイタリア語が話されている確立が高い場所ってどこだか知ってる?
トスカーナでしょ? 何せ現代イタリア語の基礎となったのはトスカーナの言葉だし、と思った方、違います。
イタリア各地に訛りがあるように、トスカーナにもトスカーナの訛りがあるため、正しい発音の現代イタリア語を話している確立が高いところは他にあるんです。
答えは、トリノ。

1950年代・60年代、イタリアでは特に南部から移民がたくさん出た。
職を求めて、国内では北部へと移動、外国に出て行くことも普通のことだった。
うちの夫の母方の家族はシチリア出身なんだけど、職を求めて最初シエナに3年、そこで一緒に行った従兄家族に土地を騙し取られていられなくなり、トリノに移動してきた。
シチリアの親戚は、当時、英国に行った人、アメリカに行った人、カナダに行った人が何人かいて、今もなお彼らはそちらの国で暮らしている。
当時はイタリア北部に行くことも外国に行くことも同じことだったんだって。どうせ、どちらに行っても言葉は分からないしうっしっし
私の義母はシエナに渡ってすぐに小学校に上がったんだけど、学校でクラスメイトたちが「ハーサ(casa)」と言っているのが一体何のことか分からなかったって。他にもシチリアでは「○○」と呼ばれているものがシエナでは「△△」と呼ばれていて、話が通じないこともしばしばあったと言う。入学式の日、先生に「かわいいリボンをつけているのね」と言われたのが、「つけているのね」の部分しか理解できなかったとか。
北部の人たちは南部からの移民たちを嫌って、南部移民いじめというものもあったんだって。
南部出身者だからという理由だけで、家を貸してくれないところも結構あったんだそうな。
現代の、外国人差別と同じだね。

夫の父親とはまったく交流がないし、あちら側の親戚のことはあまり知らないけど、夫の父親側の祖父は第二次世界大戦中ドイツ軍のスパイをしていたそうで、戦後、家族は住んでいたヴェネトにいられなくなって、トリノに来たんだそう。

そんなわけで、職がある土地にいろいろな土地出身の人々が集まった。
そこで起こる問題は当然、言葉の違い。
FIATを中心とした車産業が盛んだったトリノには、いろいろな土地からいろいろな言葉を喋る人が山ほどやってきた。
FIAT工場付近には、今も「FIATの家」と言うのがいくつも残っている。
FIATへ出稼ぎに来た人たちのために建てたコンドミニアム。
元々トリノに住んでいるピエモンテの人たちはFIATなど工場で働いたりはしない。
先祖から受け継いだ土地で農業をしたり、家を貸して収入を得たり、自ら会社を建てて南部から来た人たちを雇ったり。
トリノでは、違う言葉を話す子供たちを受け入れることとなった。
そこで、それまで学校の先生はピエモンテの言葉で喋っていたけど、これではピエモンテの子供しか分からないからと、きちんとしたイタリア語を用いて子供たちにきちんとしたイタリア語を教えるようにした。
だから、夫の母親の世代も、夫の世代も、きちんとした、テレビのニュースで聴くようなイタリア語を話す人ばかり。
トリノに来たときすでに働きに出ている年だった人はいまだに出身地の訛りを持って話す。
夫の祖母が言い例で、彼女はもう50年近くもトリノで暮らしているけど、シチリアの訛りがあるどころか、シチリアの言葉で結構話す。イタリア語で話す努力はするけど、文法的に全然アウト。外国人の話すイタリア語を聞いているようなもので、言いたいことは分かるんだけど。
語学って、住んでいるだけでは身につかないものなんだね。学校できちんとした教育を受けるのって、やっぱり大切なんだね。

トリノではイタリア語を話している人の確立が多いとは言え、私が住んでいるような田舎では、訛ってる人も結構いるんだよね。ピエモンテ訛り。って言うか、この辺出身の人はふつーにピエモンテーゼで喋ってますから。ピエモンテーゼでしか喋れないおじいちゃんとかいますから。
ちなみにピエモンテーゼってこんな感じです。うちの方で喋られているものはちょっとだけ違うんだけど。


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最終更新日  May 7, 2008 05:16:11 PM
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