信念。
あー、なんかやっと足が治ってきたみたいです。毎朝、起きるたびに激痛やったんですが今朝はだいぶましに。しかし薬のチカラはすげーもんですなあ。ていうか、バイ菌にヤラれたのは疲れているからって医者のみたにさんのコメント。くそっ、仕事のせいなんかいっ!wてなことで月曜の夜も京橋でストやったんですがやはり仕事でムリでした。意味わからんなあほんまに。あ。なんか以前と思考回路がころっと変わってしまってますなあ。そうなんです。仕事で自分のやりたいことを犠牲にするのはあたりまえな感じやったんですね、以前は。そういう意識なので、当然自分のやりたいことを抑制するのが習慣になります。だって、予定を立ててもことごとく計画倒れになるんですからね。はいな、あくまで休日は仕事のための予備日なんですね。そんなふうにプライベートに関してはまったく無計画な日々を過ごすわけなので。ほんまに休みになったときには何をしていいんかわからんのです。はしゃぎすぎて疲れたら月曜からの仕事にひびくという意識が。それが何をするにも抑制心が働いてしまうんですね。これが、僕が生まれ変わる前の社会人としての生き方でした。はいな、何事も極めたい僕としては。それは立派な心がけでありそのスタンスを疑う余地はまったくなかったです。さて、そのスタンスを貫き通した15年間。さすがにそのスタンスには疑問を感じるようになってきました。そう、仕事って自分がこれほどまでに情熱をかける値打ちのあるものなのかってね。僕はサラリーマンです。会社の歯車のひとつ、ある局面ではトカゲのしっぽになりうる存在です。はいな、便利に利用されるほうの存在なんですね。そして、その頑張りに対してのわずかばかりの見返りに一喜一憂するのです。なんてしょうもない人生なんやろ。サラリーマンは安泰な人生を目指して自分で選んだ職種ですよ、確かに。でもこの普段の苦労って決して安泰とは言えないじゃあないですか。現に過酷な労働条件のために周りでは精神を患う人もいっぱいいますし。自殺するひともいますし。このままやったら死ぬときにきっと後悔するんやろなあ。いったんそう思ってしまうとね。これまでの15年間を無駄に生きてきたような気になって。いてもたってもいられなくなったんですね。今までプラスと思ってたやってきたことがある日突然すべてマイナスに変換されたんです。いくらプラス思考の僕でもこの量ではちょっと挽回できないでしょう。はいな、これは僕が職種を決めるときにサボった酬いですね。だって、真剣に自分がやりたいことを考えずに職につきましたから。あ、ちょっと訂正。やりたいことはあったんですよ、それはもちろん音楽。それ以外のやりたいことなんていっこもなかったんですね。で、そこで音楽の道を進むかというと。そこはびびりの僕です、テーマは安泰な人生ですから。でも、せめてそこで音楽以外の現実的なやりたいことを模索しておけばね。てなふうに、自分の人生に関して疑問どころか混乱さえして。人生の先行きを見失っていたときに。そんなときに、パイ山でDROP ARMYと出会ったわけなんです。このときの感動は今でも忘れません。もちろん、DROP ARMYの音楽にはココロを打たれました。でもね、それ以上にそのときの僕のココロを打ったこと。それは、メンバーさん達の演奏する姿に「本気」を感じたからです。ほんまに人生をかけて今ここで演奏してるというのがひしひしと伝わってきたんですね。そこで、僕の中で何かが変わったんです。それまで凝り固まっていたなにかがぐずぐずに液状化していった感じかなあ。そして、それがまたカタチになるまでにしばらくの時間を要しました。はいな、何度もDROP ARMYのストに通うことで。本当にやりたいことは何か。後悔しない生き方とは何か。そしてそのために自分のできることは何か。あれこれ思案を重ねて自分の気持ちを整理していったわけですね。そうやっていったん液状化したなにかが「信念」を伴ってカタチになったのです。そう、「信念」。今までの僕は仕事に対する「信念」を抱いていました。それが、DROP ARMYを応援するという「信念」へと変貌したのです。それがこれからの僕の人生の拠りどころとしたわけです。彼らの本気に便乗させてもらうことに当面の生き甲斐を得ようとしたわけです。それからなんと充実した日々を過ごせてきたことでしょう。日々のがんばりとそれに対する明快な結果と。しんどかったこともあればめっちゃうれしいこともあったりと。期待を込めてメンバーさん達を応援すればきっちりとそれに応えてくれます。ほんま、あの日、あの時間にパイ山を通りがかっていなかったら。僕は今ごろどうなっていたんでしょうね。僕の生き方を180度変換させてくれた。そして僕の勝手な応援を受け入れてくれた。DROP ARMYに感謝です。おわり