日本聖公会の人権意識 その2
日本聖公会では人権に関する議論など、ほとんど為されていないのではないでしょうか。まさか、「人権」を口にしたら、「あれはアカだ」とは言わないでしょうが、しかしそれに近いことがあるのではないでしょうか。最近は、加害者の人権が重要視されている程ですから、被害者の人権については当然重要視されなければならないのですが、管区の小審判廷がどうなっているのかさえ、情報が流れてきません。被害者の代理人(被害者のご家族と公証役場で正式に代理人契約を結んでいる)が上告しているのですから、被害者のご家族が上告しているのとまったく同じだということを、管区はご存じないのでしょうか。
それとも、「公証役場での契約など、日本聖公会が認めたものにはならない」とでも考えているのでしょうか。こうした考え方をしている聖職者が日本聖公会にいるということを耳にしています。「法律なんて関係ない」という暴言を口にした(文字にした?)方もいるかのように聞いています。日本聖公会では、同性愛者の人権に関して、あれだけ積極的に発言されてきたにもかかわらず、女児に対する現職(当時)聖職者の性的虐待の被害者とそのご家族の人権を無視しているかのような対応は、一体どういう根拠に基づいた者なのでしょうか。
PTSDが発症したという診断書が出されていたにもかかわらず、日本聖公会京都教区は誠実にそれに対応することを為されていらっしゃいませんでした。それだけではありません。最高裁判所の上告却下が決定されても、即座にはそれを受け入れることをせず、加害司祭の「事実無根」という言葉だけを信頼して、実に大きな間違いを犯してしまいました。「最高裁判所に抗議する」という声明文を一般社会に向かって発信されました。しかし、日本聖公会京都教区での差し戻し審の審判には、そうした過ちに対する悔悛はその欠片も見えていません。
日本聖公会の管区は、こうした京都教区の実態に対して、いち早く対応することによって、被害者の人権を守らなければならないのではないでしょうか。それとも、あの最高裁判所の却下決定で確定した高等裁判所の判決を覆すことが出来る、新しい証拠や証人を準備していらっしゃるのでしょうか。しかし、差し戻しを決めた管区小審判廷の判決文には、そうした可能性を伺い知る個所はまったくありません。日本聖公会は、もう一度、人権に関する議論を一から始められた方がいいかと思います。聖職者は、信徒の人権を無視することが出来る権威を与えられているとお考えなのであれば別ですが‥‥‥