グチだ、グチ
バター、卵がたっぷりの超リッチ風味のホテル風ロールパンを作って今朝ダンナの朝食へ。「バターかなんかある?」「え?そのままでバターの風味すごいからいらないと思って。」「だって、バターロールだし…。そのままでも美味しいけど、やっぱもらえる?」一応健康のこと考えてあえてバターを添えなかったんですけどね。おまけに「バターロール」は「バターをつけて食べるパンではなくバターがはいっているパン」だと思いますが!?夫婦喧嘩は犬も食わないというが、こういう些細なことがカチンとくる。おかずがいっぱいあるのにいただきますと同時にいきなり「ふりかけかなんかない?」といってふりかけをご飯にぶっかけること。味見をしないでチャーハンにいきなりソースをかけること。実家からもらった(え〜もちろん自分では買えませんとも!)1枚200円のロースハムに、一口も食べないうちにマヨネーズをたっぷりかけること。味付きの鍋なのに「ポン酢かなんかない?」といってかけること。眼鏡や財布や鍵などをどこにでもぽんぽん置いては「ない!」とさわぐこと。昼からわかっているのに帰宅のぎりぎりまで「食事がいらなくなった」という連絡をしないこと。e.t.c.そして何より私がイラッとするのは「かなんか」欲しいのはかなんかではない、欲しいのは「ポン酢」であり「バター」であり「ふりかけ」なのである。ためしにわざと「ポン酢かなんか」といわれたときに「味薄いなら塩のほうが合うと思うけど、塩でいい?」ときいたら「…ポン酢がいいんだけど、ないの?」と。じゃあ、最初から「ポン酢欲しいんだけど」と言えよ。このダンナの「遠回しに言う」というところは、育ってきた環境によるのだ、わかっている。北海道育ちの私は、全てに関してストレートである。「いる?」と聞かれてほしくなかったら「いらない」で終わる。ダンナは関西育ち。「お茶いれるけどいる?」と聞かれて、要らなくても「ありがとう。もらう」と言う。そして当然だが手を付けずに残す。飲まないんだったら、最初から要らないっていえよ。と私はイラッとする。ダンナいわく「せっかくお茶いるかと聞かれていらないとは言えない」らしい。わかるよ、気を使ってくれているのだ。だけど入れたお茶が無駄になるのはいいのか…?飲まない人のためのお茶葉を足し、湯のみ茶碗をだし、お茶をわざわざいれたことに対する気使いはないのか?せっかくだけど、私にとっては間違った気遣いなのだよ…外人に「more coffee?」と聞かれて「No,thnak you」と答えたとき、この「No」を言うのにすごく抵抗があった。きっとダンナの「いる」はそういう感じなんだと思う。夫婦だからな…。若い頃は「なんでなんで…???」と悶々としていたものだが、最近ははっきり言う事にしている。何年一緒に暮らしていても、お互い理解できないことや、小さいころから培ってきた習慣を知らなくて衝突することが多いもんだ。それはお互い様。私自身にもダンナに理解できないところや、イラっとするところが多々あるに違いない。そうそう、よく言うじゃん。夫婦が長続きする秘訣は我慢と忍耐だって